江戸時代の年表。江戸時代とは西暦1603年から1868年までの265年間の時代を指す。
徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた年から、徳川15代将軍の徳川慶喜が大政奉還により、幕府としての権限を朝廷に返上した年までの期間である。
三都(江戸・大坂・京都)の人口推移(山川詳説日本史図録)
幕府による人口の全国調査は1721年から始められた。公家・武家などの人口約500万人は除外されていたので、18世紀の全人口は約3100万人と推定される。江戸の人口は、町方人口約50万人に武家人口約50万人を加えて、約100万人に達したと推定されている。
西暦 | 主な出来事 |
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1600年 | 「関ヶ原の戦い」で徳川家康が西軍を破る 石田三成が処刑される |
1601年 | 家康が東海道に伝馬制度を設ける 上杉景勝が会津(120万石)から米沢(30万石)に移される |
1603年 | 家康が征夷大将軍に就任し、江戸に幕府を開く 出雲阿国が京都で初めて「かぶき踊(踊念仏)」を披露、これが歌舞伎の始まりとなった |
1604年 | 朱印船の制度が定められる、糸割符の制度が始まる |
1605年 | 2月、徳川秀忠が征夷大将軍に就任、これにより家康は名目上隠居となる 4月、豊臣秀頼が右大臣となる 5月、家康が秀頼に、上京し謁見するよう、臣下の礼を取るよう促す、秀頼これを拒否 煙草が伝来、幕府が栽培を禁ずる |
1606年 | 幕府に銀座を置く |
1607年 | 朝鮮通信使が来日 角倉了以が富士川を開く 佐渡の金銀産出量激減 |
1608年 | 永楽通宝の流通を禁じ貨幣相場を統一、金・銀・銭の交換比率を決定 |
1609年 | 薩摩藩島津家久が琉球王国に侵攻する。これにより琉球王国は日明両属となる 5月、オランダ船の貿易が許可される 8月、オランダ人が平戸に商館を建設 9月、幕府が西国大名の500石以上の大船を没収 |
1610年 | 加藤清正、名古屋城築城開始 |
1611年 | 角倉了以、高瀬川の開削工事 いとう呉服小間物問屋(松坂屋)開業 |
1612年 | 禁教令が出される。これにより、キリシタン信仰が禁止される 銀座が駿府から江戸へ移転 |
1613年 | 伊達政宗が支倉常長を欧州に派遣(日本人で太平洋と大西洋を横断した人物は支倉常長が日本史上初) |
1614年 | 大坂冬の陣が勃発 |
1615年 | 4月、大坂夏の陣が勃発 5月、豊臣氏が滅亡する 7月、武家諸法度を制定し、幕府が大名を統制する 7月、禁中並公家諸法度を制定し、朝廷統制の基準を示す 8月、一国一城令発布 道頓堀川完成、大阪第一の繁華街に西川、江戸日本橋に出店 |
1616年 | ヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限定する 徳川家康が死去する |
1617年 | 日光東照宮が建立される 幕府が吉原遊廓の開設を許可 船業者角屋に海外渡航の朱印状 |
1618年 | 喜多見忠勝を堺奉行とし、攝・河・泉の国奉行を兼ねさせる 日本橋再建 |
1619年 | 5月、秀忠上洛 6月、福島正則が改易される 8月、大坂町奉行が設置される、大坂に城代・城番が設置 江戸と大坂を結ぶ菱垣廻船始まる |
1620年 | 幕府、浅草に米蔵258戸建設 |
1621年 | ルソン(フィリピン)のディラオに日本町再興 |
1622年 | 元和の大殉教、長崎でキリシタンが多数処刑される 長崎代官・末次平蔵ルソンに貿易船派遣 |
1623年 | 徳川家光が江戸幕府三代 征夷大将軍に就任する イギリスが日本から撤退 琉球の儀間真常、黒砂糖の精製に成功 大坂で「泉屋」(住友)銅商開業 |
1624年 | 幕府、スペインの貿易要を請拒 桂離宮庭園完成 11月、女御徳川和子が中宮となる 12月、朝鮮使節が家光に謁見 |
1625年 | 狩野探幽が二条城の襖絵を描く 天海、寛永寺を建立、徳川家の廟所 日本橋に魚会所を開設 |
1626年 | 織物の尺幅の基準を全国統一 |
1627年 | 紫衣事件(〜1629年)、幕府と朝廷の対立事件、紫衣禁止に反対して沢庵宗彭らが出羽に流される 内藤重次、諸国金銀奉行、鉱山開発奨励 菱垣廻船問屋続々と開業 |
1628年 | 吉田光由『塵劫記』刊行 農民の服装規定を定める |
1629年 | 長崎奉行で踏絵が導入される(キリスト教の信徒・キリシタンを発見するために使用された絵) 大坂天満組惣会所完成 |
1630年 | 寛永の禁書令(キリスト教関連漢訳洋書の輸入禁止) 日蓮宗不受不施派を弾圧(日蓮を宗祖、日奥を派祖とする日蓮門下の一派) 山田長政がシャム(タイ)で毒殺される(シャムの日本人町など東南アジアで活躍した) 住友、本家を京都から大坂へ |
1631年 | 駿府の徳川忠長が乱交をはたらき幽閉され、翌年改易される 奉書船制度が開始(海外渡航船に朱印状の他に奉書を交付(奉書船)を定める) 糸割符制に江戸・大坂の商人も参加 |
1632年 | 旗本諸法度が定められる 大坂商人も糸割符に |
1633年 | 江戸で湯女風呂流行(湯女、銭湯で垢すりや髪すきのサービスを提供した女性) 第一次鎖国令(奉書船以外の海外渡航が禁止、海外に5年以上居留した日本人の帰国を禁止) 寛永小田原地震(マグニチュード7.2程、150人が圧死) 家光による六人衆が置かれる(松平信綱・堀田正盛・三浦正次・阿部忠秋・太田資宗・阿部重次) 黒田騒動(筑前黒田藩(福岡藩)のお家騒動) |
1634年 | 紀州みかん、初めて江戸入荷 連年の凶作に幕府、酒造半減を命ず 徳川家光が上洛 大名火消の制を定められる 譜代大名の妻子に江戸に常住することが命じられる 第二次鎖国令(第1次鎖国令の再通達、長崎に出島の建設を開始) 小堀遠州が二条城に茶室を造る |
1635年 | 日本人の海外渡航・帰国を全面禁止する 武家諸法度を改定し、外様大名に参勤交代を命じる |
1636年 | 永通宝登場で悪銭使用厳禁 長崎出島完成 日光東照宮の陽明門などが完成する |
1637年 | 島原の乱、天草四郎によるキリシタン一揆が起こる 水戸・仙台で寛永通宝が鋳造 幕府、銅の輸出禁止 |
1638年 | 大坂で銅屋仲間許可 大老職が設置される お陰参り流行(伊勢参宮の流行) |
1639年 | ポルトガル船の来航を禁止する |
1640年 | 寛永の大飢饉(〜1643、江戸初期最大の飢饉、餓死者が増大し三都に人口流動が発生、田畑永代売買禁止令) 幕府、譜代大名に倹約令 |
1641年 | オランダ商館を出島に移す(これにより鎖国が完成する、オランダと中国は幕府直轄の出島、朝鮮とは対馬藩、琉球は薩摩藩、アイヌは松前藩で貿易が行われた) |
1642年 | 寛永の大飢饉深刻化 幕府、農業再建策を発表 蔵米汚職関係者を処分 |
1643年 | 春日局(かすがのつぼね)が亡くなる 田畑永代売買禁止令、農民は自分の田畑を売買することが禁止された 幕府が「寛永諸家系図伝」を作成 |
1644年 | 幕府、刀・衣服の規制強化 国絵図、郷帳をつくらせる オランダ風説書の始まり |
1645年 | 浜口儀兵衛、銚子で醤油醸造 赤穂藩、新式の製塩法開発 |
1646年 | 大地震で日光東照宮石垣崩壊 対オランダ銅輸出解禁 |
1647年 | 大地震で江戸城石垣・大名屋敷など倒壊 |
1648年 | 江戸市中諸法度を定める 町人の家督相続制を定める 農民の土地貸借を禁じる 松永尺五、尺五堂を開塾 |
1649年 | 慶安の御触書を出し、農民の生活を統制する |
1650年 | 江戸・関東で大地震、日光東照宮で被害 お陰参り流行、伊勢神宮へ殺到 |
1651年 | 将軍・家光が死去、殉死者が相次ぐ(1663年に殉死が禁止される) 由比正雪の乱が起こる、兵学者の由比正雪による幕府転覆未遂事件 |
1652年 | 承応の変(戸次庄左衛門の乱、承応事件) 江戸市中の浪人を調査する 江戸に旗本奴・町奴流行 若衆歌舞伎が禁止される(若衆をめぐって争いが起こっていた) |
1653年 | 佐倉惣太カが下総国佐倉藩領の苛政を幕府に直訴、佐倉藩の領民は救われたが、惣五郎夫妻は磔・男子4人も死罪とされた 大坂天満に青物市場開設 秤の全国統一はかる |
1654年 | 改流工事により、利根川が太平洋に注ぐようになる 蔵元に触れを出し、米手形の売買禁止 |
1655年 | 後水尾上皇が京都修学院離宮の造営を始める 幕府、商取引に手形奨励 京都で儒者・山崎闇斎開塾 糸割符制廃止 |
1656年 | 江戸浅草鳥越および駿河沓谷に鋳銭座が設置される 吉原遊廓、浅草寺裏に移転 鴻池、両替業開始 |
1657年 | 明暦の大火、江戸の市中を五割以上消失する、江戸城本丸焼失(振袖火事)、江戸の街の火災対策 河村瑞賢、木曽の檜で巨富獲得 株仲間(商工業者組合)を禁ず 徳川光圀が「大日本史」の編纂を始める |
1658年 | 大坂で町中宗旨改の作法が定められる 消防組織・定火消設置 |
1659年 | 幕府、西陣に生糸を原価で払い下げる 江戸、両国橋完成 いとう呉服小間物問屋(松坂屋)再開 |
1660年 | 江戸で防火対策のため町屋の建築規制 |
1661年 | 越前国福井藩、銀札を発行する(最初の藩札) 相対済令、金公事(金銀貸借関係の訴訟)を幕府は取り上げず、当事者同士で解決(相対)することを命じた示談促進法令 |
1662年 | 京都で伊東仁斎、儒学塾古義堂を開く 京都材木商・白木屋、日本橋に小間物店 浅井了意が『江戸名所記』刊行 |
1663年 | 武家諸法度を改定、殉死が禁止される 江戸・大坂・京都で飛脚仲間結成 |
1664年 | 評定所訴訟規定 諸大名に寛文印知が発給される |
1665年 | 幕府、魚・鳥・野菜の食用時期を定める 諸社禰宜神主法度、諸国の神社の統制が始まる 諸大名の証人制(人質制)が廃止 |
1666年 | 酒井忠清が大老に就任する 諸国の農村に法度を公布 |
1667年 | 将軍への進物制限が解かれる |
1668年 | 京都町奉行所が設置される 商人・問屋の米など15品目在庫調査 |
1669年 | シャクシャインの戦い、アイヌが松前藩支配に蜂起する 山鹿素行『中朝事実』(尊王思想の歴史書) 小石川後楽園完成(築山泉水回遊式の日本庭園・大名庭園) 江戸枡を京枡に統一 不受不施派寺請禁止令、日蓮宗不受不施派が信徒を寺請することが出来なくなった |
1670年 | 大坂、十人両替を制度化 町人の家督相続について定める |
1671年 | 河村瑞賢が東廻り航路をひらく 伊達騒動裁断(伊達家の仙台藩で起こったお家騒動) |
1672年 | 河村瑞賢が西廻り航路をひらく |
1673年 | 三井高利が江戸と京都に越後屋呉服店を開く 分地制限令(田畑の分割相続の制限) 初代市川団十郎が江戸で荒事を演じる 赤本(草双紙の一)出る(江戸で出版された絵入り娯楽本) 談林俳諧の流行(談林派、京都・大坂・江戸の三都で流行した誹諧の流派) |
1674年 | 新銭4貫文=金1両に定め、古銭の通用を禁止 関孝和『発微算法』(点竄術による代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎を作った) |
1675年 | 宿場の宿賃など2倍に値上げ 三井高利が「店前売り」打ち出す 代官の伊奈忠易(いなただえき)が小笠原諸島を探検し、幕府に土産をもたらす |
1676年 | 大坂の銅商、銅吹所の私設者を訴える 鴻池、岡山藩の銀掛屋になる |
1677年 | 江戸で踊りを禁止 「延宝検地」機内周辺8ヶ国・備中国・陸奥国の幕府領で実施された検地 |
1678年 | 江戸で火事多発、失火者は死刑 |
1679年 | 江戸で振売商人を制限 金沢、兼六園完成 |
1680年 | 徳川綱吉が五代将軍になる 世襲代官制を廃止し代官の官僚化を進める |
1681年 | 諸国へ巡検使派遣される、天和の治(綱吉の善政として称えられる) 住友が吉岡銅山を開発 茶屋染め流行 |
1682年 | 犬を虐殺したものが処刑される(生類憐み政策のはしりとも) 幕府が「天下一」の字句使用禁止、金看板も禁止 井原西鶴の「好色一代男」が刊行される(主人公・浮世之介の生涯を描いた一代記) 諸国高札立替 勘定吟味役が設置される(江戸幕府が、勘定所の職務すべての監査を担当した役職) |
1683年 | 越後屋、駿河町に移転「現金掛値なし、正札商法」宣言、両替店開業 日光に大地震、東照宮損壊 奈良屋茂左衛門、東照宮修復工事落札 幕府が衣服制限令を出す 武家諸法度を改正、文治政治へ 友禅染め流行 |
1684年 | 貞享書上げ(幕府が諸家、大名や幕臣らに書き上げさせた系譜) 出版取締令公布 河村瑞賢、淀川治水工事 幕府が会津藩に「鷹を献上する必要なし」と通達、幕府が「生類憐乃事」について言及 |
1685年 | 綱吉が「生類憐みの令」を出す(鉄砲を領主の許可なしに使用してはならないという法令、将軍の御成の際に犬や猫をつなぐ必要はないという法令) 相対済令(民事訴訟処理の増加による刑事訴訟処理の停滞への対処と旗本層の救済を狙ったもの) 定高貿易法(長崎貿易の統制のために定められた貿易規定) |
1686年 | 朝鮮貿易制限 琉球貿易制限 大伝馬町に木綿問屋結成 |
1687年 | 病気の牛馬を捨てることを禁じた法令がだされる 田畑永代売買禁止を再令 越後屋、幕府呉服御用達・払方御用達 |
1688年 | 柳沢吉保が側用人になる 美服禁令 井原西鶴「日本永代蔵」 長崎に唐人屋敷が作られる 大坂堂島に穀物売買所設立 鴻池の取引大名32藩に及ぶ |
1689年 | 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出る 禁令が相次いて出出される |
1690年 | 荻原重秀佐渡奉行に就任 ドイツ人医師ケンペルオランダ商館付医師として来日する 林羅山の私塾、綱吉の命により湯島に移転(湯島聖堂) 富山藩、反魂丹「先用後利」商法で人気 山本山、江戸日本橋で創業 |
1691年 | 住友、別子銅山開発 |
1692年 | 諸役人の役料制定される 東大寺修復、開眼供養行われる 井原西鶴「世間胸算用」刊行 広島藩、鴻池を蔵元、江戸為替御用に |
1694年 | 柳沢吉保が老中になる 江戸十組問屋を結成 |
1695年 | 「質地取扱の覚」出される 元禄の貨幣改鋳(金・銀貨を改鋳される) 西川如見「華夷通商考」を著す 武蔵国中野などに犬小屋ができる 幕府、諸藩に金・銀・銅山の開発奨励 |
1696年 | 荻原重秀、勘定奉行に就任 改鋳金銀交換規則を出す 農学者の宮崎安貞「農業全書」を著す 大阪の商人淀屋辰五郎、驕奢なりとして闕所となる |
1697年 | 宮崎安貞が「農業全書」刊行 「御蔵米地方直し令」(旗本知行制の改定)発布される(元禄地方直) 「酒株改め」厳しく実施される(元禄酒株改め) 酒造高に対して5割の運上賦課を命じる |
1698年 | 紀伊国屋文左衛門、上野寛永寺造営工事 20年以上の小作地を永小作とする |
1699年 | 拝領金支給、旗本・後家人の窮乏に幕府 江戸の米穀不足のため諸代官へ江戸廻米を命じる 酒造量を5分の1に制限する |
1700年 | 金銀銭三貨の比価を定める(金1両=銀60匁、=銭4貫文) うなぎ、どじょうの販売禁止 |
1701年 | 赤穂藩主の浅野長矩が吉良義央を江戸城中で刃傷に及ぶ 猿江の材木問屋が深川に移転 |
1702年 | 赤穂事件、大石内蔵助らが吉良上野介を討つ 相対済令 松尾芭蕉が『奥の細道』を著す 幕府が、遊興・物見・博打・遊女の取締令 |
1703年 | 2月、幕府、大石良雄らに切腹を命ずる 5月、近松門左衛門「曽根崎心中」竹本座で初演される 室鳩巣『赤穂義人録』著す 御三家の水戸藩、財政改革に着手 |
1704年 | 1〜2月、浅間山噴火 2月、幕府が大和川の付け替え工事に着手(10月に完工) 時局風刺の小説、狂歌を禁止 |
1705年 | 2月、間部詮房が西丸側衆となる 5月、大坂の豪商の淀屋・三郎右衛門を追放・闕所にする |
1706年 | 幕府、暴利追求の豆腐屋を摘発 |
1707年 | 宝永の大噴火、富士山が噴火する(現在、最後の噴火) 落書・流言などの禁止 鴻池、鴻池新田の開発に着手 |
1708年 | 京都で大火災、13000戸焼失 |
1709年 | 徳川家宣(いえのぶ)が六代将軍に就任する(生類憐みの令廃止) 朱子学者者の新井白石を徳川家宣が幕閣に登用する(正徳の治) |
1710年 | 武家諸法度改定 貝原益軒『和俗童子訓』刊行 |
西暦 | 主な出来事 |
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1711年 | 重要関所の取締り強化 2月、新井白石の建議で朝鮮使節の待遇を改め、将軍の称号を「日本国王」とする |
1712年 | 荻原重秀、勘定奉行失脚 幕府、大坂銅座廃止 |
1713年 | 天領の大庄屋制度廃止される 貝原益軒『養生訓』を著す 新井白石『采覧異言』を著す |
1714年 | 貨幣改鋳の不正糾弾で処罰 貨幣(小判)の質(金・銀の含有率)が元へ戻される、これにより経済も正常化していく 住友吉左衛門、宇和島今出銅山開発着手 |
1715年 | 正徳新例の発布 新井白石『西洋紀聞』 幕府、御用達商人の賄賂・請託禁止通達 雛形本出版で呉服商繁盛 長崎貿易を制限、金銀の国外流出歯止め |
1716年 | 徳川吉宗が八代将軍となり、享保の改革が始まる 新井白石が間部詮房を解任 新井白石『古史通』自叙伝『折たく柴の記』を著す |
1717年 | 大岡忠相(ただすけ)を江戸町奉行に登用する 下村彦右衛門、大文字屋開店 |
1718年 | 通貨統一を強行 江戸の両替商を限定、江戸市中の両替屋人数600人、寺社方35人に定められる 伊勢おかげ参り流行する |
1719年 | 10月、吉宗が朝鮮通信使を引見 11月、旗本御家人の困窮救済のため金銀貸借・買い掛けの訴訟は不受理とする(相対済し令) |
1720年 | キリスト教以外の洋書の輸入を解禁 1月、三奉行に刑罰基準の制定を命じる(公事方御定書の淵源) 8月、江戸町火消「いろは」47組が設置される |
1721年 | 2月、田中丘隅「民間省要」 3月、江戸大火 6月、浅間山噴火 7月、大坂蔵米の延べ売り、買い占めを禁止し堂島米商人数名を逮捕する 8月、評定所門前に「目安箱設置」される、庶民の直訴を受け付ける 株仲間を公認 幕府、贅沢な衣服・調度・食物を禁ず 初の人口調査 江戸50万人 越後屋「旅買物式目」を定め、絹買付け 住友「長崎店家法書」制定 |
1722年 | 小石川薬園(現在の小石川植物園)が出来る(目安箱の効果) 出版書籍業者に取締令が出される 7月、上げ米の制を制定し、参勤交代が緩和される 12月、小石川薬園に施薬院小石川養生所を設ける(目安箱の効果) |
1723年 | 幕府、心中事件を扱った出版・上演を禁ずる 6月、足高の制が定められる 12月、江戸大火、幕府が瓦屋根を奨励 |
1724年 | 2月、米価下落、諸色の元値引下げを命じる 3月、大坂大火、市街の大半408町焼失 6月、諸大名や幕臣に対して倹約令出される |
1725年 | 大坂に米会所設立 |
1726年 | 問屋に米など必需15品目帳面提出命ず 幕府、銭価・物価の高騰抑制を命ず 大文字屋(大丸)、大坂へ出店 |
1727年 | 荻生徂徠『政談』を著す 青木昆陽の進言により甘藷の栽培始まる |
1728年 | 大文字屋、名古屋へ出店、屋号「大丸屋」 |
1729年 | 太宰春台『経済録』を著す 4月、幕府、米価下落のため米商人に買米を奨励する 10月、幕府、1702年以降の借金銀の利息を5分以下にするよう命じる 12月、金銀貸借訴訟を再び受理することを布告(相対済し令の廃止) |
1730年 | 上げ米の制を停止し参勤交代を復旧する 米価の調整を意図し大坂堂島の米市場を公認 |
1731年 | 尾張新藩主・宗春の開放政策を取る 米価引き上げ策、発令 |
1732年 | 日本で凶作、享保の大飢饉が起こる、米価高騰 |
1733年 | 江戸で米問屋打ち壊し起こる |
1734年 | 青木昆陽、甘藷試作 |
1735年 | 青木昆陽(あおきこんよう)がサツマイモの性質・栽培法などを記した「蕃薯考(ばんしょこう)」を著す 京都奉行所、紅花問屋仲間公認 |
1736年 | 金銀改鋳行われる(元文金銀) |
1738年 | 4月、長崎廻銅の減少のため大坂に銅座再設置される 11月、金銀引替所廃止される 宇治の永谷宗円、精茶法改良 江戸・山本山、煎茶売り出す 西川、かくまん店開店 大坂に銅座復活、輸出銅確保 |
1739年 | 1月、尾張藩主徳川宗春に蟄居を命ずる 吉宗の子・宗伊に一橋門内に宅地を与える(一橋家創始) |
1740年 | 大坂東町奉行を賄賂で処罰「辰巳屋騒動」 桜町天皇、新嘗祭復活 |
1741年 | 幕府、江戸の油買受人の全てを油問屋仲間に加入させる 大坂、上荷船・茶船営業独占 |
1742年 | 大岡忠相ら公事方御定書を編纂、裁判の基準とする 長崎で、鉄銭鋳造される |
1743年 | 幕府が大坂米方両替株を増やす 諸大名留守居役の遊所寄合を禁じる 大坂で菜種油高騰 大丸、江戸に出店 |
1744年 | 幕府が西国33カ国秤改めを命じる 田畑永代売買の罰則を軽減 「御触書寛保集成」成る 西陣、桐生織物の搬入禁止請願 |
1745年 | 京都西陣高機仲間が成立する 2月、江戸大火 9月、吉宗が家重に譲り西丸に移る |
1746年 | 加賀騒動 |
1747年 | 幕府、道中人馬通行の制(1712)を再令 寄合板倉勝該、江戸城中にて熊本藩主細川宗孝を刺殺する 幕府が江戸札差仲間を9組に分け行事を定めさせる |
1748年 | 加賀騒動(加賀藩お家騒動) 「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」が初演される 幕府、羽織着用を禁止 |
1749年 | 奥州各藩で一揆多発する 勘定奉行に定免法の全面施行を命じる 姫路全藩で一揆 住友理兵衛、立川銅山の経営を命じらる |
1750年 | 幕府、農民の強訴・徒党・逃散を厳禁する 各地で一揆多発(讃岐丸亀藩で一揆、伊予大洲藩で強訴(内の子騒動)、備前諫早藩で一揆、甲斐幕領で一揆(米倉騒動)、広域一揆に弾圧令 幕府、銅座を廃止し諸山の銅を長崎直買い入れとする |
1751年 | 田沼意次側衆となる(〜1786年、田沼政治) |
1752年 | 大阪で「にわか」流行 |
1753年 | 諸大名に備荒米を貯蔵させる |
1754年 | 『日本山海名物図会』刊行 久留米藩で年貢減免の大一揆起こる 幕府、1715年以来の酒造制限令を廃止し、1697年の酒造高までは勝手作りを認める |
1755年 | 宝暦飢饉(奥羽地方冷害、餓死者多数) |
1756年 | 加賀藩藩札乱発 |
1757年 | 「日暮硯」の恩田木工、松代藩改革着手 |
1758年 | 宝暦事件(尊王論者・竹内式部捕らえられる) |
1759年 | 藩札の新規発行を禁止 |
1760年 | 江戸で大火が相次ぐ 幕府が大坂の菜種問屋・綿実問屋の株を定める |
1761年 | 上田藩で大一揆 大坂の豪商に初の御用金を課す |
1762年 | 大坂金藏から江戸への送金を為替に変え現金銀とする(〜1767) |
1763年 | 松坂屋「家訓録」制定 煎茶道の始祖・禅僧売茶翁没 江戸で鰻の蒲焼流行 |
1764年 | 1月、幕府が大坂に金銭延売買会所の設置を許す 2月、家治が朝鮮通信使を引見する 12月、伝馬騒動、日光東照宮150回忌法要に伴う助郷役増徴に反対し、信濃・上野・下野・武蔵の農民が蜂起する |
1765年 | 紅花商人の直売を許可 |
1766年 | 銅売買の統制 |
1767年 | 上杉鷹山による米沢藩改革始まる 明和事件(山県大弐ら処刑される) |
1768年 | 田沼意次が側用人(そばようにん)に就任する
大坂の町人らが家質奥印差配所の設置の反対し、激しい打ち壊しが起こる 上田秋成『雨月物語』 |
1769年 | 一揆禁止令 中井源左衛門、合資会社設立支店展開 |
1770年 | 各地で大旱魃と一揆頻発 大坂油問屋株が定められる 江戸質屋株が定められる |
1771年 | 伊勢で「おかげ参り」大流行、御蔭参りに200万人が参加し、伊勢神宮を参拝する 米沢藩主・上杉鷹山が藩政改革 |
1772年 | 田沼意次が老中に就任する 江戸大火(目黒行人坂火事)、死者1万人を超す |
1773年 | 三浦梅園が『価原』を著す(商品経済における価格について説明した経世論) 川柳・洒・本・黄表紙が流行する 上杉鷹山の改革に家臣反発「七家騒動」 平賀源内、秋田で鉱山技術と洋画伝授 |
1774年 | 前野良沢・杉田玄白らの「解体新書」が刊行される |
1775年 | 長久保赤水『日本輿地路程全図』 スウェーデンの植物学者ツンベルグが来日 三浦梅園『玄語』を刊行 |
1776年 | 平賀源内がエレキテルを復元 米沢藩藩校「興譲館」開校 |
1777年 | 農民の江戸出稼ぎを禁止 大坂で歌舞伎「伽羅先代萩」が初演 |
1778年 | 江戸の取り締まり強化 ロシア船が厚岸来航、松前藩に通商要求 西35か国斗量濫用を戒む |
1779年 | 松前藩がロシア船の要求を拒否 塙保己一「群書類従」編纂に着手 |
1780年 | 本居宣長「葛花」 |
1781年 | 絹糸運上騒動が起こる(上野の農民、絹糸貫目改所設置に反対し蜂起、幕府が設置を撤回する) |
1782年 | 印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)の干拓が行われる 天明の大飢饉が始まる |
1783年 | 浅間山が噴火、死者466人 |
1784年 | 江戸両替店を643株とす |
1785年 | 蝦夷地調査隊を派遣する |
1786年 | 田沼意次が老中から失脚 林子平「海国兵談」 最上徳内ら千島を探検 |
1787年 | 5月、江戸、大坂など各地で打ち壊しが起こる(天明の打ち壊し) 6月、「御所千度参り」の人数一日7万人にも膨れ上がり、光格天皇、幕府へ貧窮民救済を要請、幕府が1500石の救い米を放出する 7月、松平定信が老中首座に就任する、寛政の改革が始まる |
1788年 | 1月、京都大火発生し1424町が延焼し禁裏と二条城も焼失する 7月、飛騨幕府領の農民大原郡代の非政を幕府に越訴、大原郡代流罪となる(大原騒動・天明騒動) |
1789年 | 7月、内裏造営が始まる 9月、棄損令(旗本・御家人の負債を免ずる) 諸大名に囲米を命ずる |
西暦 | 主な出来事 |
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1790年 | 「古事記伝」の最初の五巻が刊行される 2月、幕府が全国に諸物価引き下げを命じる、幕府が江戸石川島に人足寄場を設置 5月、寛政異学の禁(幕府が湯島聖堂で朱子学以外の異学の講究を禁ずる)、洒落本の版行禁止書籍出版取締令 11月、江戸で帰村奨励の令を出す |
1791年 | 男女混浴を禁止 山東京伝、洒落本「仕懸文庫」などの刊行で手鎖50日の処罰 囲米奨励 異国船渡来処置令 江戸町法改正七分金積立制定 七分積金制 米国商船のレイディ・ワシントン号が和歌山県串本町に寄港 |
1792年 | 大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)と共にロシアのラクスマンが根室に来航、通商を要求する 「海国兵談」を絶版にし、林子平に蟄居を命ずる 幕府が海防を厳重に力を入れ始める 尊号事件が起こる 林子平「海国兵談」出版禁止される |
1793年 | 松平定信が失脚 蘭学者が江戸でオランダ正月を祝う |
1794年 | 浮世絵師・写楽、役者絵を発表 |
1795年 | 西洋暦学の高橋至時、幕府天文方に |
1796年 | 初の蘭和辞書完成 |
1797年 | ロシア人が択捉島(えとろふ)に上陸する 幕府、湯島聖堂を学問所と改称 |
1798年 | 本居宣長『古事記伝』を著す 諸藩の米札濫発を禁止 女師匠が男に教えることを禁止 根岸肥前守鎮衛が南町奉行になる 志筑忠雄「暦象新書」を著す 本多利明「西域物語」を著す幕臣の近藤重蔵が択捉島を探査する、島に「大日本恵土呂府」の標柱を立てる |
1799年 | 『寛政重修諸家譜』の編纂開始 蝦夷地を直轄領とする 藤田幽谷『勧農或問』を著す 米価騰貴する 江戸・大坂で打毀 |
1800年 | 伊能忠敬が蝦夷地を測量する 昌平坂学問所が竣工 京と大坂の銀座を廃止される 南鐐二朱銀の鋳造再開される |
1801年 | 村山一揆(米価高騰、買い占めに怒り童山形などの豪商・豪農への打ち壊しなど一揆起る) 志築忠雄『鎖国論』翻訳 |
1802年 | 蝦夷奉行を箱館奉行に改称する 十返舎一九「浮世道中膝栗毛」が人気を博す |
1803年 | 江戸で高級料亭「八百善」開店 |
1804年 | ロシア使節レザノフが長崎に来航し通商を要求する 大坂商人、旅館組合「浪花組」結成 |
1805年 | 1月、ロシア船来航、諸大名に警戒を命じる 2月、伊能忠敬が伊勢・紀伊・山陽・山陰沿岸の測量に向かう 3月、ロシアのレザノフの通商要求を拒否 6月、関東取締出役を設置 |
1806年 | 1月、ロシア船の来航の際の取り扱い処置を諸大名に指令 2月、米価下落につき白米の江戸廻送を禁止 4月、南部・津軽両藩に西蝦夷地の守備を命じる 9月、ロシア船が樺太の松前藩会所を襲撃 |
1807年 | ロシア船を打ち払い |
1808年 | 4月、間宮林蔵(まみやりんぞう)が樺太(からふと)を探査、樺太が島であると発見 8月、フェートン号事件、英国軍艦フェートン号が長崎港に侵入しオランダ人2名を捕らえ、オランダ商館の引き渡しを要求 |
1809年 | 間宮林蔵、樺太探検で海峡確認 |
1810年 | 高橋景保『万国全図』(世界地図)完成 |
1811年 | 天文方に蛮所書和解掛が設置される 銭屋五兵衛、廻船業開始 幕府、5カ年の倹約令を発布 ロシア艦長ゴローニャン国後島で逮捕 |
1812年 | 高田屋嘉兵衛がロシア船長リコルドによりサハリン海上で捕らえられる |
1813年 | 大坂町人に御用金百万両命ず 十組仲間に株仲間を認可 京都で「都風俗化粧伝」大評判 |
1814年 | 越後で一揆続発 |
1815年 | 杉田玄白「蘭学事始」成る |
1816年 | 2月、武家屋敷内などの博打禁令の厳守を命じる 11月、駿河と遠江の各地で強訴打ち壊しなど頻発 |
1817年 | イギリス船が浦賀に来航する 葛飾北斎、120畳敷きの大達磨を描く |
1818年 | イギリス人ゴルドンが浦賀に来航し貿易を要求、幕府が拒否 |
1819年 | 加賀藩、奢侈禁止に反した大庄屋を配流 |
1820年 | 砂糖の販売を自由化 |
1821年 | 東西蝦夷地を松前氏に還付 伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」完成 |
1822年 | 英国船が浦賀に入港し薪水を求む 佐藤信淵「経済要略」刊行 |
1823年 | 幕府、5カ年倹約令発布 |
1824年 | シーボルトが長崎で「鳴滝塾」開校 2月、南鐐二朱銀を改鋳(文政二朱銀) 5月、文政一朱金が鋳造される |
1825年 | 異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)により、日本沿岸に近づく外国船の撃退が命じられる |
1826年 | 高橋景保がシーボルトを訪問 |
1827年 | 幕府が文政の改革に着手、関東全域に改革組合村の結成を指令する |
1828年 | シーボルト事件(書物奉行高橋景保、秘かに地図などをシーボルトに与えたとして捕らえられる) |
1829年 | 江戸で「己丑の大火」(三大火事の一つ) 葛飾北斎「富嶽三十六景」が完成 幕府が南陵一朱銀(文政一朱銀)を鋳造する |
1830年 | 水戸藩、藩政改革に着手 御蔭参りに500万人が参加し、伊勢神宮を参拝する |
1831年 | 長州藩が村田清風が財政再建に着手する 二宮尊徳、3カ村を復興 寺門静軒『江戸繁昌記』執筆 高島屋、京都で創業 |
1832年 | 渡辺華山、高野長英ら「尚歯会」結成 |
1833年 | 天保の大飢饉が始まる、米の買い占めを禁止 歌川広重「東海道五十三次」 |
1834年 | 水野忠邦が老中に就任、天保の改革 大坂堂島で大火、7560戸焼失 |
1835年 | 茶商・山本嘉兵衛が玉露を創製 |
1836年 | 甲州一揆、各地でも一揆、打ち壊し頻発 |
1837年 | 大塩平八郎の乱が起こる アメリカ船モリソン号を浦賀で砲撃する |
1838年 | 長州の藩政改革始まる 緒方洪庵が大阪に蘭学塾「適々斎塾」を開く 松平春嶽が越前福井藩主となる 大原幽学、下総で財産共有化を提唱 |
1839年 | 蛮社の獄、蘭学者へ弾圧始まる 水野忠邦が老中首座に就任する 京都で「豊年踊り」大流行 |
1840年 | 「遠山の金さん」が北町奉行に 加賀藩が銭屋五兵衛に藩船運用を任す |
1841年 | 天保の改革(〜1843) 株仲間解散令 奢侈禁止令を公布 |
1842年 | 物価引下令 薪水給与令(しんすいきゅうよれい)が出され、打払令が緩和される 二宮尊徳、幕府御普請役格に 市川団十郎、江戸追放 |
1843年 | 人返し令、出される(江戸に流入していた多くの農民をもとの農村へ戻した) 水野忠邦が失脚「天保の改革」挫折 |
1844年 | オランダ国王親書が幕府に届く 水野忠邦、再任 |
1845年 | 水野忠邦が再度罷免 |
1846年 | アメリカ東インド艦隊来航 2月、江川英龍が伊豆七島を巡視 4月、仏米船など日本に渡来 |
1847年 | 最初の「安政の大地震」善光寺地震が発生、以降、1868年まで度々地震が起こる |
1848年 | 外国船の対馬・五島・蝦夷地・陸奥沿岸などの航行が増加 薩摩藩家老・調所広郷、密貿易が発覚、自殺 |
1849年 | 幕府が打払令復活を予告し諸大名に防備の強化を命じる 銭屋五兵衛、河北潟干拓申請 |
1850年 | 江川英龍が韮山に反射炉を建造 二宮尊徳、各地で農政指導 |
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1851年 | 十組問屋ほか株仲間の再興許可 銭屋、河北潟干拓工事開始 |
1852年 | オランダ商館長が来年米国が来航し開国を要求するとの情報を幕府に伝える 歌舞伎ブーム |
1853年 | 黒船来航、アメリカのペリーが浦賀に来航する、勝海舟が海防意見書を提出 |
1854年 | 1月、ペリー提督が軍艦7隻を率いて再び神奈川沖に来泊 3月、日米和親条約を締結 4月、京都で大火(禁裏焼亡) 6月、伊賀上野地震、死者995名 8月、日英和親条約 11月、安政東海地震が発生、東海道の交通途絶、下田に津波、プチャーチン乗船の露艦船沈没 12月、日露和親条約 |
1855年 | 2月、幕府が全蝦夷地を収公する 7月、幕府が長崎に海軍伝習所設置 9月、幕府が米・英・露国との条約締結について朝廷に報告する 10月、安政の大地震、倒壊消失家屋14346戸、町人の死者4千人余 10月、日仏和親条約 12月、日蘭和親条約 |
1856年 | 浮世絵師の歌川広重が『名所江戸百景』の作製に取り掛かる 10月、米国総領事ハリスが下田に着任し玉泉寺に領事館を置く 11月、薩摩藩の天璋院篤姫が家定に輿入れ |
1857年 | 5月、日米追加条約締結(下田協約)、長崎に新たに港を開けること、アメリカ人の下田・箱館居留を許可すること、アメリカと日本の貨幣を同種同重量で交換し日本は6%の改鋳費を徴収することなどが定められた 8月、日蘭追加条約締結 9月、日露追加条約締結 10月、米大統領親書を携えハリス登城 |
1858年 | 4月、井伊直弼、大老に就任する 6月、日米修好通商条約を締結する 9月、安政の大獄が起こる 10月、福沢諭吉、江戸で蘭学塾 |
1859年 | 神奈川・長崎・函館3港で5か国と貿易 吉田松陰らが処刑される |
1860年 | 1月、勝海舟が咸臨丸で米国へ出立 3月、桜田門外の変、水戸浪士らが井伊直弼を暗殺する |
1861年 | 皇女和宮が将軍家茂に輿入れ |
1862年 | 2月、和宮降嫁、皇女和宮(かずのみや)と将軍家茂(いえもち)が結婚する 7月、幕府が慶喜を将軍後見職とする、松平容保が京都守護職となる 8月、生麦事件で薩摩藩士がイギリス人を殺傷する |
1863年 | 3月、家茂が将軍として230年ぶりに上洛 5月、幕府が生麦事件などの賠償金11万ポンドを英国に交付、長州藩が米国商戦を砲撃 6月、米軍艦が長州藩砲台を攻撃し占拠、高杉晋作が奇兵隊を編制 7月、薩英戦争 8月、八月十八日の政変、長州藩と尊王攘夷派京都から追放される |
1864年 | 「ええじゃないか」が全国に拡大 3月、天狗党挙兵 6月、池田屋事件、新撰組が池田屋を襲撃 8月、禁門の変、長州藩兵が幕府軍と禁裏諸門で交戦、第一次長州征伐へ 9月、下関戦争 10月、長州藩が幕府に恭順謝罪のために奇兵隊など諸隊の解散を命令 12月、高杉晋作らが馬関を襲撃 |
1865年 | 1月、高杉晋作ら馬関を再度襲撃し占拠、以降、長州藩の藩論が幕府への強硬姿勢に 9月、英米仏蘭4国代表、条約勅許・兵庫開港を求め軍艦で兵庫沖に来航 10月、家茂が条約勅許と兵庫開港を朝廷に奏請、朝廷は条約は勅許するも兵庫開港は不許可と裁定 |
1866年 | 各地で一揆・打壊し民衆蜂起 1月、薩長同盟、坂本龍馬が斡旋する 6月、第二次長州征伐 7月、将軍が家茂大坂城内で死去 8月、将軍死去のため征長停止の沙汰書出される 9月、幕府長州が休戦を協定する 12月、徳川慶喜が征夷大将軍に補任される |
1867年 | 3月、慶喜が兵庫開港を奏請するも却下される、慶喜が英仏蘭代表と会見し兵庫開港を確約する 6月、大政奉還などの薩土盟約7カ条が結ばれる 7月、大久保・岩倉ら王政復古を計画 9月、薩長芸の3藩が挙兵倒幕を約束 10月、大政奉還、十五代将軍 徳川慶喜が政権を返上する 11月、薩摩・長州藩兵が出陣 12月、王政復古の大号令で明治新政府が樹立 |
1868年 | 1月、戊辰戦争が勃発、鳥羽・伏見の戦い 2月、慶喜が江戸城を出て上野寛永寺に閉居 3月、江戸城無血開城、西郷と勝海舟の合意により実現 4月、新政府軍が江戸入城、慶喜が水戸へ退去する 5月、奥羽越列藩同盟成立、新政府軍が彰義隊を上野で討つ、徳川家を駿河府中70万石に封ずる 7月、江戸を東京と改称 8月、榎本武揚、幕府の艦船8隻を率いて品川を脱走、北海道へ向かう 9月、明治と改元される、会津藩降伏 12月、榎本武揚ら蝦夷地を占領し五稜郭を本営とする |
1869年 | 5月、新政府軍が函館総攻撃を開始し、榎本武揚が降伏(戊辰戦争終結) 11月、大村益次郎が死去 |
1871年 | 廃藩置県が行われる |
1877年 | 最大の士族反乱、西南戦争が起こる |
1889年 | 大日本帝国憲法が発布される |
1894年 | 日清戦争が起こる |
1899年 | 日英通商航海条約が発効される、不平等条約が改正される |