戊辰戦争

戊辰戦争

1867年12月、王政復古で明治新政府が誕生する。
薩摩・長州中心の新政府に不満を持つ諸藩は、翌年1月、徳川慶喜を押し立てて反旗を翻したが、列強の圧力下、長期の内戦は不可能だった。
旧幕府軍は朝敵として追われ、最後の抵抗を続ける事なった。
>> 戊辰戦争年表

1年半に及んだ旧幕府と新政府の内乱

1868年1月3日、京都南部の鳥羽・伏見で、旧幕府軍と薩摩・長州を中心とする新政府軍が激突した。
この鳥羽伏見の戦いから、戊辰戦争が始まった。
新政府に反発した会津・桑名などの諸藩が徳川慶喜を押し立て、薩長討伐に立ち上がったのである。
しかし、旧幕府軍は新政府軍の近代兵器の前に敗れ、「朝敵」として、日本各地へ追われる事になった。

江戸城無血開城

晴れて「官軍」となった新政府軍は京都を進発し、3月には江戸へと迫った。
江戸城総攻撃が噂される中で、新政府の西郷隆盛と旧幕府の勝海舟が会談する。
慶喜も新政府に恭順の意を示し、江戸城が新政府軍に明け渡される事となった(江戸城無血開城)。

会津藩追討と奥羽列藩同盟

江戸湾にいた旧幕府海軍副総裁の榎本武揚は、艦隊を率いて箱館(函館)に脱出した。
一方、新政府軍は会津藩追討に乗り出し、東北へ進攻する。
会津をはじめ東北諸藩は奥羽列藩同盟を結び、激しい戦いを繰り広げた。
しかし、新政府軍の猛攻に次々と脱落していき、9月には会津藩も降伏した。

榎本の降伏で、戊辰戦争終結

箱館の五稜郭で抵抗していた榎本らも、翌1869年5月に降伏する。
1年半に及ぶ戊辰戦争は終わりを告げた。

戊辰戦争の各地の戦い

鳥羽伏見の戦い 1868年1月
京都入りを目指す旧幕府軍1万5000と新政府軍5000が激突する。
数の上では旧幕府軍が優位だったが、装備と士気に勝る親政軍が勝利を治めた。
甲州勝沼の戦い 1868年3月
新撰組を中心とする甲陽鎮撫隊が幕領の甲府城防衛に向かうが、勝沼で板垣退助率いる新政府軍に大敗する。
江戸城無血開城 1868年4月
3月13日〜14日、新政府軍参謀西郷隆盛と旧幕府陸軍総裁勝海舟が会談し、新政府軍は徳川慶喜の謹慎などを条件に江戸総攻撃を中止する。
4月11日、江戸城は新政府に明け渡された。
宇都宮の戦い 1868年4月
4月19日、土方歳三ら新撰組を含む旧幕府軍が宇都宮城を落城させるが、23日、増援した新政府軍に敗北した。
長岡の戦い 1868年5〜7月
河合継之助率いる長岡藩兵は、ガトリング砲をはじめとする最新火器で新政府軍を苦しめ、戊辰戦争最大の激戦となった。
上野の戦い 1868年5月
旧幕臣ら3000人が彰義隊を結成し、上野・寛永寺を本拠に抵抗するが、大村益次郎が指揮する新政府軍の総攻撃で壊滅。
会津の戦い 1868年8〜9月
新政府軍は宿敵の松平容保討伐の為、約30000の大軍で四方から会津若松城を猛攻撃。
白虎隊の奮戦も空しく、一ヶ月の籠城の末、降伏した。
仙台藩降伏 1868年9月
奥羽列藩同盟の盟主を担う仙台藩は、諸藩が次々に脱落するなかで戦意を失い、降伏した。
庄内藩降伏 1868年9月
庄内藩は近代兵器を駆使して新政府軍をことごとく撃破した。
最期まで善戦したが、仙台・会津藩の陥落を受け、降伏した。
五稜郭の戦い 1869年4〜5月
1868年10月、旧幕府艦隊を率いる榎本武揚は、土方歳三らと共に箱館(函館)の五稜郭を占領。
翌年4月、新政府軍は海陸から攻撃を開始し、5月には榎本は降伏、戊辰戦争は終結した。

戊辰戦争の経過年表

西暦月日出来事
1867年12月9日王政復古の大号令で、明治新政府が成立
12月25日庄内藩兵らが江戸の薩摩藩邸を焼打ち
1868年1月3日鳥羽伏見の戦いで戊辰戦争が始まる
1月6日徳川慶喜が大坂城を脱出
3月6日甲陽鎮撫隊が勝沼で新政府軍に敗北
3月13〜14日西郷隆盛と勝海舟が江戸開城について会談
4月11日江戸城無血開城、慶喜が水戸へ退去
4月23日宇都宮の旧幕府軍が新政府軍に敗北
5月3日奥羽列藩同盟確立
5月10日〜7月29日長岡の戦い
5月15日彰義隊、上野で新政府軍に敗北
8月19日榎本武揚、旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出
8月23日新政府軍が会津若松城を包囲、白虎隊が自刃
9月15日仙台藩が新政府に降伏
9月22日会津藩が新政府に降伏
9月27日庄内藩が新政府に降伏し、本州での戦闘がほぼ終結
10月25日榎本らが箱館・五稜郭を占拠
12月15日榎本らが蝦夷地に新政権を樹立
1869年4月9日新政府軍が蝦夷地攻撃を開始
5月18日榎本らが新政府に降伏、戊辰戦争が終結する

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