大政奉還

大政奉還

薩長両藩が武力による倒幕を画策するなか、坂本龍馬が考案した「大政奉還」は、戦争を開始しつつ革命を実現させる妙案であった。
土佐藩による大政奉還が、薩長の倒幕を断念させた。
>> 大政奉還の年表

主だった勢力

欧米列強の力を知った尊王攘夷派は、徳川幕府を倒し、新政府の下で改革を進め、近代化を進めようとした。
下の三勢力が、倒幕とその後の日本の政権体制を巡って、争っていた。

倒幕派
倒幕派は長州藩、薩摩藩、土佐藩郷士が主だった勢力だった。
幕府を倒し、天皇の絶対的権威の下で新しい国家体制を構築しようとする考えであった。
公武合体派
公武合体派は、土佐藩上士、会津藩、幕府らだ。
朝廷の権力と幕府、または西南雄藩を結び付け、幕府再建を図ろうとする考えだ。
当初は、薩摩藩もこれを進めようとしていた。
公議政体論
土佐藩は、坂本龍馬の船中八策に基づき、徳川家の大政奉還後、天皇も下で徳川を盟主とする列藩会議を旨とする折衷案を提案する。
しかし幕府側は、天皇を棚上げし、大君(将軍)を実質的盟主とする政権樹立を目指した。

大政奉還の奉上と武力倒幕派の挫折

1866年に起きた第二次長州征討での戦いでは、幕府軍が長州軍に敗北した。
これを受け、幕府の権威が地に落ちたとみた薩摩藩の西郷隆盛大久保利通は、倒幕派の公家岩倉具視に働き掛け、「倒幕の密勅」降下を画策する。
武力による倒幕を目論んだのだ。

龍馬の暗躍で、将軍が政権返上に動く

倒幕派と幕府との対立の間で一役買おうとしたのが、土佐藩である。
前藩主山内容堂の腹心の後藤象二郎は、坂本龍馬の立案した新国家構想「船中八策」を基に、大政奉還を幕府に建白する。
その趣旨は、天皇の下で大名らの合議による連立政権を樹立する事であった。

薩摩藩と土佐藩の「薩土盟約」

その一方で土佐藩は、薩摩藩と「薩土盟約」を締結し、大政奉還の実現に向け協力を誓い合った。
薩摩藩にとっても、いざという時に倒幕に持ち込む同盟者が必要だったのである。

大政奉還により、薩摩の倒幕工作が失敗

1867年10月13日、岩倉の工作が実り、遂に薩摩藩に「倒幕の密勅」が降下される。
翌日には長州藩にも降下されるが、同じ14日、将軍慶喜から大政奉還が奉上された。
慶喜の構想は、一旦朝廷に政権を返上した上で、新たな政権の下で盟主となり行政権を行使しようとするものであった。
大政奉還を受け、10月21日、「倒幕の密勅」の取り消しが布達された。

大政奉還までの年表

西暦出来事
1866年1月薩摩藩・長州藩間で反幕を約束した薩長同盟が締結
1867年5月薩摩藩・土佐藩が薩土盟約を結び、土佐藩の折衷案支持を密約
倒幕派の公家岩倉具視、中山忠能、正親町三条実愛らと薩摩藩、長州藩が倒幕の密勅降下を画策
1867年10月13日薩摩藩に対して倒幕の密勅が下る
1867年10月14日長州藩に対して倒幕の密勅が下る
1867年10月21日大政奉還を受け倒幕の密勅が取り消される

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