第10代天皇 崇神天皇

崇神天皇 実在性が高い最初の天皇

崇神天皇は学術上、実在の可能性が高い初めての天皇と位置付けられている。
奈良県桜井市の三輪山麓を根拠地に領域を広げ、ヤマト政権の基盤を確立したとみられている。
崇神天皇68年12月、120歳で崩御(『古事記』では戊寅年12月崩御、168歳)した。 なお、崇神天皇の実年代は3〜4世紀とされる。

四道将軍を派遣して統一国家建設

奈良県桜井市に所縁

父は開化天皇、母は伊香色謎命、皇后は御間城姫。
都の磯城瑞籬宮は、三輪山南麓の奈良県桜井市金屋にあったとされる。
陵所は山邊道勾岡上陵。

天照大神を伊勢神宮の地へ遷座

事蹟として、まず注目出来るのは、天照大神の遷座。
疫病の流行を背景に、天照大神と倭大国魂神を殿内に祀るのをやめ、天照大神を笠縫邑(かさぬいのむら:現在の檜原神社)に移した。
これが後に伊勢神宮の誕生へと繋がっていく。

四周を平定

また、「四道将軍」として大彦命を北陸道に、武渟川別命を東海道に、吉備津彦尊を西道(吉備・山陽道)に、丹波道主命を丹波(山陰道)に派遣し、服さぬ者を討伐させた。
大彦命はまた、武埴安彦の叛乱も鎮圧している。

実質的な初代天皇?

記紀編纂者は、皇統の中で崇神を重要な存在としており、初代神武天皇と同じ、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと:初めて国を統治した天皇)と称えている。
崇神天皇の登場を境に、日本が多数の原始的国家が並立した時代から、統一国家の時代に突入したという見方も少なくない。
このため、崇神を初代天皇とした、また崇神と神武を同一視する見方もある。

税制「朝貢」を創設

また、崇神は税制の創設も行ったとされる。
四周の平定後、初めて男女に「調」(みつぎ:貢物)と呼ばれる税を課している。
税制を敷く事によって、統治される側も安心して王権に付いていく事が出来るようになり、国家建設において非常に重要な一歩であった。
更に任那(朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称)が朝貢したとされるが、これを初めての外国との通交開始と受けとる事も出来る。

和諡
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
在位
崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日
生没
開化天皇10年 - 崇神天皇68年12月5日

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