オオモノヌシ(大物主)

オオモノヌシ(大物主)

ヤマト王権誕生の地の三輪山の神様

三輪山・大神神社のご祭神

オオモノヌシは、最古の神社のひとつとされる大神神社のご祭神として知られる。
『古事記』では、オオクニヌシが出雲の地で国づくりをした際、協力者であるスクナヒコナが去って、途方に暮れていたときに、オオモノヌシが海の向こうから現れ、自分を大和の東の青々とした山に祀れば国づくりは上手くいくだろうと伝えた。これが大神神社のはじまりとされる。
その「大和の東の青々とした山」が三輪山であるとされる。
のちの三輪氏の祖神でもある。

古事記、播磨国風土記、日本書紀における表記・表現

『古事記』では御諸山上坐神、美和之大物主神、『播磨国風土記』では八戸挂須御諸命、大物主葦原志許とも表記。『日本書紀』では大己貴神の和魂とされる。

古事記と日本書紀で記述に差がある

『日本書紀』では、オオモノヌシは、オオクニヌシの「幸魂・奇魂」であると伝える。
また、『古事記』では神武天皇の岳父に、綏靖天皇の外祖父としている。『日本書紀』ではミホツヒメを妻としている。
日本書紀と古事記によって内容が違う為、注意が必要。

崇神天皇もオオモノヌシを三輪山に祀った

安定と平和を与え、国造りを支えた神様

『古事記』には次のような記述もある。

10代・崇神天皇の代に疫病が大流行し、多くの人命が失われた。崇神天皇は相次ぐ災厄に頭を悩ませていたが、ある日、崇神天皇の夢で、「世が乱れているのは我が意志によるものである。オオタタネコという人物に自分を祀らせれば、国は安らかになるだろう」と告げた。そこでオオタタネコにオオモノヌシを三輪山に祀らせたところ、疫病が収まって世は安寧を取り戻したという。

『日本書紀』に伝わる不思議な説話

蛇の姿を嫌がられた事を恥じたオオモノヌシ

『日本書紀』では、オオモノヌシとヤマトトトビモモソヒメ(第7代・孝霊天皇の皇女)の結婚譚が伝えられる。
モモソヒメはオオモノヌシと結婚したが、オオモノヌシは夜にならないと現れなかった。
姿を見たいとモモソヒメが望むと、オオモノヌシは翌朝に櫛笥(くしげ)を見るように伝えた。
モモソヒメが翌日、櫛笥を開けるとそこには小さなヘビが入っており、モモソヒメは驚いてしまう。
恥をかかされたオオモノヌシは三輪山へと帰り、その後、モモソヒメは腰を落とした際に箸が陰部を突いて亡くなったと伝えられる。

モモソヒメは箸墓古墳に葬られたとされる

三輪山の麓には、ヤマト王権の中心地とされた纒向遺跡があり、その中にある最古の前方後円墳が、モモソヒメを葬ったとされる箸墓古墳である。

三輪山の大神神社

神社の本来の姿を今に受け継ぐ

大神神社は、三輪山をご神体としており、本殿はない。
麓の拝殿の奥にある三ツ鳥居から山を仰拝する神社の原初的な形を今に残す。
この三ツ鳥居は明神型鳥居を3つ合わせた特殊な形状で、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているのみで、成立年・由来は不明である。


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