『古事記』や『日本書紀』に記される日本のはじまりから大宝律令まで、現在でも不明瞭な部分も多い、古代日本の歴史を年表にまとめる。
ただし、この年表は神話を含んでおり、学術的には史実と考えられていないため、注意が必要。
神武から続いた皇統の流れが一度断たれ、新たに継体天皇(大王)が即位したとされる「507年(継体元年)」を契機に、段階的に信憑性が高くなっていく。
史実にもとづく年表は 日本史年表 を参照。
神武東征、日本武尊の東国征伐、神功皇后の新羅遠征、遣隋使の派遣、聖徳太子の治世、蘇我氏の興亡、壬申の乱、大宝律令の制定など。
西暦 | 和暦 | 出来事 |
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不明 | 神日本磐余彦(神武天皇)が東征の旅に出る | |
前660年 | 神武天皇元年 | 神武天皇が大和を平定 |
前580年 | 神武天皇没後 | 神渟名川耳尊が手研耳命を射殺する |
前547年 | 安寧天皇2年 | 片塩浮孔宮に遷都 |
前509年 | 懿徳天皇2年 | 軽曲峡宮に遷都 |
前475年 | 孝昭天皇元年 | 掖上池心宮に遷都 |
前391年 | 孝安天皇2年 | 室秋津島宮に遷都 |
前291年 | 孝安天皇没後 | 黒田廬戸宮に遷都 |
前211年 | 孝元天皇4年 | 軽境原宮に遷都 |
前157年 | 開化天皇元年 | 春日率川宮に遷都 |
前91年 | 崇神天皇7年 | 崇神天皇が大田田根子に大物主大神を祭らせる |
前88年 | 10年 | 崇神天皇が四道将軍を送り各地を平定 |
前38年 | 60年 | 出雲振根が飯入根を謀殺するが、その後、皇軍によって誅殺される |
前33年 | 65年 | 任那国が蘇那曷叱知を遣わして朝貢 |
前25年 | 垂仁天皇5年 | 皇后狭穂姫の兄狭穂彦王が謀叛を起こす |
前23年 | 7年 | 野見宿禰が当麻蹴速と相撲をとり蹴殺す |
前5年 | 25年 | 垂仁天皇が伊勢神宮を創建し皇女の倭姫命に祭祀を命じる |
97年 | 景行天皇27年 | 日本武尊が熊襲を討伐 |
110年 | 40年 | 日本武尊が東国征伐に出発 |
133年 | 成務天皇3年 | 武内宿禰を大臣に任じる |
135年 | 5年 | 成務天皇が前年の詔を実施し、諸国の境界を決める |
193年 | 仲哀天皇2年 | 仲哀天皇が気長足姫尊(神功皇后)を皇后とする |
200年 | 9年 | 仲哀天皇崩御、神功皇后が新羅を討伐 |
201年 | 神功摂政元年 | 神功皇后が香坂王・忍熊王を討つ |
271年 | 神天皇2年 | 応神天皇が仲姫命を立后 |
309年 | 40年 | 応神天皇が菟道稚郎子を立太子する |
334年 | 仁コ天皇22年 | 仁徳天皇が隠れて、異母妹の八田皇女とまぐわり、皇后が激怒 |
342年 | 30年 | 仁徳天皇が八田皇女を妃にしたため、皇后が山背の筒城岡に別居 |
347年 | 35年 | 仁徳天皇の皇后・葛城磐之媛が薨去、2年後に乃羅山に葬られる |
350年 | 38年 | 仁徳天皇が八田皇女を皇后とする |
352年 | 40年 | 仁徳天皇が謀反を企てた隼別皇子と雌鳥皇女を誅す |
365年 | 53年 | 上毛野竹葉瀬と田道の兄弟に新羅征伐を命じる |
367年 | 55年 | 上毛野田道に蝦夷征伐を命じる |
399年 | 仁コ天皇没後 | 去来穂別皇子(履中天皇)が謀反した住吉仲皇子を討つ |
403年 | 履中天皇4年 | 履中天皇、諸国に国史(書記官)を置く |
406年 | 反正天皇元年 | 丹比柴籬宮に遷都 |
415年 | 允恭天皇4年 | 允恭天皇が氏姓を正す盟神探湯(くがたち)を実施 |
435年 | 24年 | 允恭天皇が軽大娘皇女と木梨軽皇子の近親相姦を咎め、伊予に流す |
453年 | 42年 | 新羅王から允恭天皇を悼む弔使が送られる |
454年 | 安康天皇元年 | 安康天皇が大草香皇子を誅す |
456年 | 3年 | 安康天皇が大草香皇子の遺児眉輪王に暗殺される、大泊瀬皇子(雄略天皇)が眉輪王や政敵の皇子を殺害 |
463年 | 雄略天皇7年 | 雄略天皇が吉備上道田狭から妻の吉備雅姫を奪い妃とする |
465年 | 9年 | 雄略天皇が新羅に征討軍を送るも、仲間割れが起きたため撤退 |
469年 | 13年 | 雄略天皇が播磨の文石小麻呂を征伐する |
479年 | 雄略天皇没後 | 星川皇子がクーデターを起こすも失敗する |
482年 | 清寧天皇3年 | 清寧天皇が億計王と弘計王を宮中に迎える |
506年 | 武烈天皇8年 | 武烈天皇崩御 |
507年 | 継体天皇元年 | 大伴金村が男大迹王(継体天皇)を三国より迎える |
512年 | 6年 | 百済の要請に応じ、加耶の4県(上多利・下多利・婆陀・牟婁)を割譲する |
528年 | 22年 | 物部麁鹿火が筑紫磐井を破る |
538年 | 宣化天皇3年 | 百済の聖明王が仏像や経論などを日本に贈り、仏教が公伝される(『日本書紀』では552年) |
554年 | 欽明天皇15年 | 日本が救援するも、百済の聖王が新羅と戦い敗死する |
562年 | 23年 | 新羅が加耶諸国官家を滅ぼす |
585年 | 敏達天皇14年 | 物部守屋が仏塔・仏像・仏殿を焼く |
586年 | 用明天皇元年 | 穴穂部皇子が物部守屋を遣わし三輪逆を斬殺させる |
587年 | 用明天皇没後 | 蘇我馬子が穴穂部皇子を誅殺し物部守屋を滅ぼす |
592年 | 崇峻天皇5年 | 蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺させる |
593年 | 推古天皇元年 | 推古天皇が厩戸皇子を皇太子に立て摂政とする |
600年 | 8年 | 最初の遣隋使が派遣される |
603年 | 11年 | 冠位十二階を制定 |
604年 | 12年 | 厩戸皇子が憲法十七条を作る |
607年 | 15年 | 厩戸皇子が法隆寺を建立、小野妹子らが隋に派遣される |
621年 | 29年 | 厩戸皇子が斑鳩宮で薨去 |
628年 | 36年 | 推古天皇崩御、蘇我蝦夷が政敵を滅ぼし田村皇子を擁立 |
630年 | 舒明天皇2年 | 犬上御田鍬と薬師恵日を唐に遣わす |
643年 | 皇極天皇2年 | 蘇我蝦夷が山背大兄王を襲撃 |
645年 | 大化元年 | 乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺、孝徳天皇が中大兄皇子を皇太子に立てる、古人大兄皇子が謀叛の罪により殺される |
646年 | 2年 | 改新の詔を発す |
649年 | 5年 | 蘇我石川麻呂が蘇我日向に、叛意があると讒言され自殺 |
658年 | 斉明天皇4年 | 阿倍比羅夫が船団を率い蝦夷を攻撃、有間皇子が謀叛の罪で捕らえられ紀伊国藤白坂で処刑 |
661年 | 7年 | 斉明天皇らが百済救援のため征西の途に就く、斉明天皇崩御、皇太子・中大兄皇子、称制を布く |
663年 | 天智天皇2年 | 白村江の戦いで大敗 |
664年 | 3年 | 冠位を二十六階に改制し、氏上・民部・家部を定める |
667年 | 6年 | 大津宮に遷宮 |
669年 | 8年 | 天智天皇が中臣鎌足に藤原姓を下賜 |
670年 | 9年 | 戸籍(庚午年籍)をつくる |
671年 | 10年 | 大友皇子が太政大臣となる、大海人皇子が吉野に隠棲、天智天皇崩御 |
672年 | 天武天皇元年 | 大海人皇子が吉野を脱し壬申の乱がはじまる、大海人皇子軍が近江瀬田で大友皇子軍を破る、大友皇子自害 |
673年 | 2年 | 百済大寺を高市に移し、高市大寺とする |
681年 | 10年 | 律令の編纂の開始を命じる、川島皇子らに帝紀・上古の諸事を記定させる |
684年 | 13年 | 八色の姓を制定 |
686年 | 朱鳥元年 | 天武天皇崩御、持統天皇が称制を施く、大津皇子の謀反が発覚し自害 |
689年 | 持統天皇3年 | 皇太子草壁皇子が薨御 |
690年 | 4年 | 高市皇子が太政大臣叙任、この頃から伊勢神宮の式年遷宮がはじまる |
694年 | 8年 | 藤原宮に遷宮 |
696年 | 10年 | 高市皇子が薨去 |
701年 | 大宝元年 | 大宝律令が制定される |