神武天皇

神武天皇

九州を出てヤマトを征服した伝説的な初代天皇

神武天皇は古事記、日本書記が伝える初代天皇。
高天原から降り立った瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の、つまり天照大神の子孫である。
実在していたかどうかは定かではなく、教科書にも掲載されていない天皇の一人である。
しかし、その存在感は現代でも大きく、即位日が昭和に建国記念日(明治には紀元節)として制定されるなど、影響力を保ち続けている。

神武天皇

月岡芳年「大日本名将鑑 神武天皇」
明治時代初期の版画

神武の祖父母について

瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子に、「海幸山幸」の神話が知られる彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト:山幸彦)と火須勢理命(ホスセリノミコト:海幸彦)がいるが、神武の父・ウガヤフキアエズノミコトはこの山幸彦の子である。
神武は四男(又は三男)にあたり、母は海神(ワタツミ)の娘・玉依姫命(タマヨリヒメ)である。

九州よりヤマトの地を目指す

神武生まれながらに明晰で、強い意志を持っていたとされる。
日向で彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)、稻飯命(イナイイノミコト)、三毛入野命(ミケイリノノミコト)という3人の兄と共に暮らしていた。
ある日、東方に美しい地がある事を知り、東征の途につく事になる。
日本書紀では、この神武東征の物語に長く記述を費やす一方、即位後の治世の記述は簡単なものとなっている。

祖先・神の力を借りて旅を続ける神武

東征は地元豪族・長髄彦(ナガスネヒコ)らの抵抗により、3人の兄を失うなど苦難の旅となった。
そこで最高神・天照大神と、造化の三神の一柱である高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)らのはからいで、宝剣・布都御魂(フツノミタマ)と八咫烏(ヤタガラス)を授けられてから神武は攻勢に転じた。
なお、布都御魂は武甕雷男神(タケミカヅチオノカミ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したときに使った刀である。
八咫烏は3本足のカラスで、神の化身とも云われる。
熊野から大和に入る険路の先導を務めた。
八咫烏は豪族・鴨氏の祖神ともいわれている。

金色の鳶と神武

宇陀の兄猾(エウカシ)、国見丘の八十梟帥(ヤソタケル)、磐余の兄磯城(エシキ)ら大和の敵対勢力に対し、神武は策略や奇襲を使って倒した。
長髄彦との決戦に挑んだ時、金色の鳶(トビ)が現れ、神武の弓に止まった。
長髄彦の軍勢は鳶の輝きで目がくらみ、これが原因で長髄彦は敗北したといわれる。
この鳶は「金鵄(きんし)」と呼ばれ、以後皇室の守護霊とされた。
この故事にちなんで明治に制定された「金鵄勲章」(戦後廃止)もよく知られている。
長髄彦を討ったのは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神で、この神は物部氏の祖神という。

ヤマトを平定し天皇を名乗る

残存勢力を征討して大和を平定してから、大物主神(オオモノヌシノカミ)の娘である媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)を娶った。
大物主神は三輪明神と呼ばれ、三輪氏の祖神である。
辛酉年の正月、橿原宮で52歳で践祚してからは、始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)を称した。

神武の功績「東征」は実在した?

実在が疑われる一方で、東征に関しては見方が分かれる。
創作されたモノだとしても、皇室が九州より東へ移動し、畿内に勢力を構えたという史実を読み取る見方もあるのだ。


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