なぜ天照は伊勢に祀られたのか

天照が伊勢の地に祀られた理由

伊勢神宮では内宮に主祭神としてアマテラスを祀っている。天皇家の祖神とされる天照大御神だが、当初は宮中に祀られていたが、長い旅を経て伊勢へ移ったという。なぜ僻地だった伊勢に祀られたのか。そこには地政学的な理由と政治的な狙いがあった。

目次

神宮〜伊勢神宮とは通称

「天皇のための神社」が江戸以降、一般人も参拝するように

伊勢の神宮は、全国にある神社の中心的存在である。
江戸時代には庶民の間でお伊勢参りが大流行し、近年でも年間600万人以上が参拝に訪れる。
現代ではすべての人々がお参りできる神社だが、もともとは皇室の祖神である天照大御神を祀る「天皇のための神社」だった。
天照大御神を祀る内宮(皇大神宮)と豊受大神を祀る外宮(豊受大神宮)をはじめ、125の宮社からなる。

正式に「神宮」という皇室にゆかりある神社

一般的には「伊勢神宮」と呼ばれるが、正式名称は「神宮」のみである。
全国には鹿島神宮や宇佐神宮といったように、神宮号の神社がいくつもあるが、共通するのは皇室に関わる神社である。
その中でも、伊勢の神宮は皇祖(天皇の祖先)である天照大御神を祀る最も高貴な神社とされる。

11代垂仁の代に天照が伊勢に祀られる

伊勢神宮の創建年代については諸説あるが、『日本書紀』には、11代垂仁天皇の皇女・倭姫命が天照大御神の鎮座地を求めて各地を巡り、最終的に伊勢に至ったことが記されている。

40代天武の代に神宮が最高位の神社に

その後、壬申の乱に勝利した40代天武天皇が伊勢の神宮を崇敬し、最も格式が高い神社になったといわれる。

なぜ天皇がいる大和でなく伊勢なのか

皇祖であるなら天皇と同じ場所に鎮座すべきでは

皇祖であり、最も高貴な神である天照大御神がなぜ、皇居があった大和(奈良県)ではなく、伊勢の地に祀られるようになったのか。

もともとはアマテラスは宮中に祀られていた

『日本書紀』には、天照大御神が伊勢の地に祀られることになった経緯が記されている。
もともと天照大御神と倭大国魂神の2神が宮中に祀られていた。
倭大国魂神は、倭国(日本)の地主神的な存在と考えられる。

尊い神々を天皇の近くで祀ってはいけない(らしい)

10代崇神天皇の時代に疫病が蔓延し、国内が乱れた。
その原因を占ったところ、どうやら尊い神々を天皇の近くで祀っていることが原因であることがわかったという。
そこで、倭大国魂神は大和神社(奈良県天理市)に祀られ、天照大御神は数十年間、最適な鎮座地を探しながら各地を巡り、最終的に伊勢の地に祀られたとされる。

伊勢に祀られた後も天皇を祟り続けた天照

天照は、伊勢に遷座された後もたびたび天皇に祟っている(太神宮諸雑事記)。
ただし後の祟りの対象は、 あくまでも天皇自身に限られていた。これは先祖が子孫に祟るという信仰の在り 方に通じている。
天皇は天照に祟られることで、自らが神の子孫であることを証明しているともいえる。

奈良時代以降も天照の祟りを警戒し続けた

奈良時代以降、天皇の身体に禍が及ばないように、年2回「御体御卜(ごたいのみうら)」という古い神事が行われていた。
そのときも必ず天照の祟りが占われて、伊勢神宮の神官たちが責任をとって、厳重な祓えを行っていた(宮主秘事口伝)。

伊勢の地政学的な重要性

天照より「伊勢に祀るように」とお告げがあった、という

伊勢の地に祀られるようになった理由は、鎮座地を探していた倭姫命に天照大御神から神託(お告げ)があったためとされる。
天照大御神は「この神風が吹く伊勢の地は、常世の波が幾重にも打ち寄せる国である。大和に近く、可怜し国(豊かな国)である。この国にいようと思う」と語った。

伊勢は農産物&海産物がよく採れる豊かな地

実際に伊勢は風光明媚な景勝地が多く、農産物や海産物が多く採れる地だった。
そのため、伊勢の地で採れるさまざまな産物は、伊勢の神宮の神饌(お供え物)として捧げられた。

近いが、交通は不便な伊勢と大和

地図で見ると、確かに伊勢がある三重県は大和、つまり現在の奈良県の隣であり、直線距離はそれほど長くない。
しかし、両県の間には山岳地帯が広がり、当時は決して都とのアクセスが良い地だったとはいえない。

東国進出の拠点として、交通の要衝・伊勢を欲した説

天照大御神は八百万の神々の頂上に立つ至上神だが、そんな重要な神大和から離れた伊勢に祀られるようになったのはなぜなのか。
さまざまな説があるが、東国への影響力を推し進めるため、海陸交通の要所の伊勢の地に重要な神を祀ったという指摘がある。

なぜ歴代天皇は伊勢を参拝しなかったか

明治天皇が参拝するまで、歴代天皇は参拝せず

伊勢の神宮にはもう1つ謎がある。
それは、至高の神とされる天照大御神を祀っている神社にもかかわらず、明治2年(1869)の明治天皇の参拝まで、歴代天皇の誰一人として伊勢の神宮に参拝しなかった点だ。

宮中にも天照は祀られ続けた為、参拝する必要がなかった?

現在の皇居にも宮中三殿と呼ばれる神殿があるが、それまでも宮中の賢所において皇祖である天照大御神を祀ってきた。
そのため、あえて伊勢の地に参拝する必要がなかったとも考えられる。

天皇が天照の神威を恐れたとも云われる

この謎に対する明確な答えは出ていないが、天皇が至高の神である天照大御神の神威を恐れたためとも考えられる。
天照大御神とともに宮中の外に遷されることになった倭大国魂神は渟名城入姫命という崇神天皇の皇女に託されたが、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて体が痩せ細ってしまったという。それほど、この神の神威は強力だったのである。

強大な力を持つ神ゆえ、敢えて遠ざけたかったのか

日本の神は、恵みをもたらす側面と災いをもたらす側面を持っている。
そのため、天照大御神は大和から山岳地帯を越えた交通の要衝地である伊勢の地に祀られたのではないだろうか。


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