古事記と日本書紀の違い

古事記と日本書紀の違い

『古事記』と同時期に成立した“正式な”日本最古の歴史書が存在する。
それが『日本書紀』である。
『日本書紀』とは、『古事記』と同様に、681年に天武天皇の命により編纂が始まり、720年に舎人親王によって元正天皇(げんしょう:元明天皇の次の天皇)に献上された歴史書である。
古事記と日本書紀はどう違うのか?
なぜ、同時期に別々の歴史書が編纂されたのか?

編纂経緯

古事記

古事記は天皇家による統治を正当化するために国内向けに書かれていたと考えられる。
その為、日本人に読みやすいように漢文体を組み替えた「日本漢文体」用いられ、天皇の先祖はアマテラスであると謳っているのだ。
日本列島を生んだのはイザナギとイザナミ、イザナギから生まれたのがアマテラス、その子孫が初代天皇の神武天皇である。
これが日本における“正史”である。
なお、古事記は編纂途中に天武天皇が崩御しており、一時編纂は中断している。
およそ30年経った711年に元明天皇によって再開され、稗田阿礼に口述させた内容を太安万侶によって執記、編纂させた。

日本書紀

日本書紀も天武天皇によって命じられ、川島皇子ら6名の皇族、6名の官人らによって681年から編纂が始まる。
古事記の編纂は既に始まっており、稗田阿礼がまとめた資料をもとに編纂は進められた。
日本書紀には藤原氏の地位の高さが強調されている部分があり、藤原氏をはじめとする有力者の意見が取り入れられたのだろう。

古事記と日本書紀は内容が違う

全30巻と系図1巻からなり、神代から持統天皇までが漢文を用いて記録されている。
出自は『古事記』とほぼ同じであるが、その内容には大きな違いがあるのだ。

『日本書紀』は“天皇の世”

『日本書紀』は神々よりも天皇の記録に重きを置いている
全30巻のうち28巻が天皇の記録である事から、編纂の目的が窺える。

『古事記』は“天皇統治以前”

『古事記』が“天皇統治以前”を主にまとめたモノだとすれば、『日本書紀』は“天皇の世”をまとめたモノといえる。
その為『古事記』では荒々しく描かれるヤマトタケルも、『日本書紀』では天皇である景行天皇と良好な関係を築いた華々しい英雄として描かれるなど、天皇家の描かれ方が異なるのだ。

物語的な古事記と、淡泊な日本書紀

文体も異なり、『古事記』は漢文を用いつつも漢字の音訓を使い分け、物語性を重視した表記がなされている。
対して『日本書紀』は、整然たる漢文を用い、神話以外は淡々と記されている。
その為、当時の人々には読みづらく、『日本書紀』の講演会のようなモノが行われていたようだ。

編纂経緯が複雑であった

『古事記』も『日本書紀』も、『帝紀』と『旧辞』を基に作られたが、それぞれが異なる『帝紀』と『旧辞』を基にした為に違いが生じた、とも考えられている。
実は『日本書紀』は本書の他に、「一書(あるふみ)によれば」という言葉を枕に諸説を掲載しており、『日本書紀』だけに目を通しても、多くの違い、歴史の矛盾を見つける事が出来るのだ。

主な違い早見表

古事記 日本書紀
成立 712年 720年
後世 全3巻 全30巻+系図1巻
編纂者 『帝紀』と『旧辞』を読み習わした稗田阿礼が語り、太安万侶が筆記天編纂 皇族(川島皇子ら6人)・官人らが中心となって編纂、舎人親王により完成
内容 天皇以前の神話が中心 天皇の世が中心
特徴 物語風に記されている 年代を追って出来事を記す編年体
記述年代 天地初発から推古天皇まで 天地開闢から持統天皇まで
文体 日本漢文体 漢文体
目的 天皇家を中心とする国家統一の正統性を謳う(国内向け) 国外に国家としての日本の正統性を謳う(国外向け)
その他 ・オオクニヌシを中心とした出雲の神の話を重点的に紹介 ・中国思想の影響がある
・天皇統治の正当性を主張
・豪族の伝承を多く取り込む
『日本書紀』冒頭

『日本書紀』冒頭


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