神功皇后

神功皇后

神功皇后(成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、第14代仲哀天皇の皇后。
応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。
三韓征伐を指揮した逸話で知られ、邪馬台国の女王・卑弥呼を思わせる不思議な力を持っていたとも云われる。

神功皇后(月岡芳年画伯)

神功皇后(月岡芳年画伯)

偉業を成し遂げた伝説的な皇后

一時期、天皇の一人と数えられた存在

14代仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母でもある神宮皇后は、代々の皇后のなかでも特に重んじられてきた存在だ。
天皇の系譜が現在のように整備される近代以前には、神功皇后を歴代天皇の一人として数える事も在った程であった。

日本に男尊女卑が考えがなかった事を意味

大正以降、神功皇后を公式に女帝とする事はなくなったが、それでも日本には古代を中心に十代八方の女性天皇が存在した。
儒教的な思想がもたらされる以前、日本には男尊女卑的な考えがなかった事を表しているともいえる。

三韓征伐

『古事記』や『日本書紀』、各地方の『風土記』には、歴代の天皇にも引けを取らない神功皇后の事績が記されている。
特に有名なのが神功皇后が自ら軍勢を率いたという三韓征伐(新羅征討)の物語だ。

神功皇后、自ら軍を指揮

神功皇后が夫の仲哀天皇とともに九州の熊襲征伐に向かった折、突然皇后に「熊襲よりも海の向こうの新羅国を求めよ」という神のお告げが下った。
ところが、仲哀天皇はこれを信じなかった為、神の怒りに触れて急逝してしまう。
そこで神功皇后は神々の声に耳を傾けながら自ら軍の先頭に立ち、征討に赴く。

戦わずして三韓に勝利

神功皇后は、神の言葉に従って武内宿禰と供に対馬を進発、新羅へ向かった。
神功率いる一行の乗った船は風の神の力によって順風満帆に進み、海の神の力(波)によって陸地の奥まで船を押し進める、そして、魚の助けを借りたという。
神の力を借りた船団が起こす波で新羅は水浸しとなり、その力を見た新羅王はすぐに降伏した。
これを知った高句麗王、百済王も降伏し、神功皇后は戦う事なく三韓を服属させす事となった。
(ただし現実的には、局地戦に勝利しただけで、三韓全ての服属については加筆と考えられる)

お腹に子を宿したまま戦った

実は三韓征伐の時、神功皇后は臨月の身だった。
そこで、お腹に鎮懐石(ちんかいせき)という石を挟む呪いをして出産を遅らせ、帰還後に無事に立派な皇子(15代応神天皇)を出産している。
更に仲哀天皇没後に起こった乱を平定し、応神天皇が位に就くまで、自ら政務を執り行ったのである。

卑弥呼の様に不思議な力を持っていた

神の声を聞く不思議な力を持った上に、妊娠、出産、軍事、政治と全てをこなした神功皇后は、神話の中でも指折りの女帝だ。
『日本書紀』ではこの功績を称えて、神功皇后の為に独立した項目を立てて他の天皇と同様に扱っているのである。
彼女が持っていたとされる不思議な力は、『魏志倭人伝』に記される“邪馬台国の女王 卑弥呼”を彷彿とさせる。

四つの社殿が並ぶ住吉大社

住吉大社は、新羅征討での住吉神社の加護に感謝した神功皇后によって創設されたと伝えられ、住吉三神(ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオ) に加えて神功皇后も祭神に加えられている。
神社はそれぞれの祭神を祀った四つの本宮が立ち並ぶ珍しい様式で、摂津国一宮として多くの信仰を集めている。

表記

『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后と記述される。


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