継体天皇

磐井の乱を鎮圧した 継体天皇

苦境な時代に即位する

第26第 継体天皇(450年?〜531年)は近江国(滋賀県)で誕生したが、幼い時に父を亡くしたため、母の故郷である越前国(福井県)で育てられてた。
その後、都に招かれ天皇として即位した彼の治世は、内憂外患に悩まされたものであった。
朝鮮半島では、大和王権の影響力が急速に低下しており、さほどの強国とはいえない高霊地方の主体勢力だった半路国(はへこく)さえも撃退する事が出来なかった。
派遣軍の副将軍は戦線を撤退し、逃げ帰ってしまう程であった。
百済の4県割譲要求に対しても、批判はあったが結局は受託してしまう。

九州で起こった磐井の乱を鎮圧

国内では九州北部で磐井の乱が勃発してしまう。
527年6月3日、大和王権の近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた朝鮮半島南部の南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発した。
この計画を知った新羅は、筑紫の有力者であった磐井へ贈賄を渡し、大和王権軍の妨害を要請したのだ。
この乱は、物部麁鹿火(もののべのあらかい)を派遣し、辛うじて鎮圧する事が出来た。

自身の血筋を後世へ遺す

仁賢天皇の皇女で武烈天皇の妹の手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后とし、後の欽明天皇(きんめい)が誕生する。
目子媛(めのこひめ)との間に安閑天皇(あんかん)と宣化天皇(せんか)が生まれている。
6〜7世紀にかけて、欽明天皇の皇子と皇女が次々と即位。
継体・欽明系統の基盤がしっかりと築かれたのであった。

足羽神社の石像

現在の福井県福井市の足羽神社には継体天皇の石像が設置してある。
この神社は、継体天皇が育てられた越前国高向の地を離れる際に、自らの生霊を鎮めて旅立った事に由来する。


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