ツクヨミ

ツクヨミ、月を治める謎多き神

『古事記』と『日本書紀』で相違がある

農民や漁民から信仰され、命と若返りを司る神とも

ツクヨミ(月読)は『記紀』に登場する月の神とされるが、その神格については文献によって相違があり、謎が多い。
「月を読む」ということから暦の神ともされ、農民や漁民に信仰されていた。命と若返りを司る神とされることもある。
『古事記』は月読命、『日本書紀』は月夜見尊などと表記。一般的にツクヨミと表記されるが、伊勢神宮・月読神社ではツキヨミと表記。
記紀において性別の記述はないが、一般に男神とされる。

ツクヨミに関する『記紀』の記述は少ない

姉(アマテラス)と弟(スサノオ)は活躍するが…

父・イザナギから誕生を祝福された、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱の尊い神々。
アマテラスは天上の最高神として、また、スサノオは荒々しくも人を助ける英雄として繰り返し活躍をみせるのに対して、ツクヨミは同じ三貴子でありながら、誕生の場面のあとにはほとんど姿を現すことがない。

数少ないツクヨミの話も、あまり良い話ではなく…

日本書紀にのみ少し説話あり、古事記は説話なし

唯一といっていい例が『日本書紀』に記された食事を司る神ウケモチを巡る物語だ。
『古事記』では誕生以降は何のエピソードも収録されていない。

刃傷沙汰、アマテラスとツクヨミが不仲になる

あるとき、ツクヨミがアマテラスの使者としてウケモチを訪問すると、食事の神であるウケモチは口から食物を吐き出してツクヨミをもてなそうとした。
ツクヨミはこれをみて「汚らわしい」と怒り、その場でウケモチを斬殺してしまうのだが、今度はその顛末を聞いたアマテラスが激怒する。
そしてこの一件以来、二神は不仲となり、昼と夜に分かれて住み、顔をあわせることがなくなったという。
昼と夜の起源を伝える神話といえる。

穀物起源説、という重要なエピソードではある

その斬られたウケモチの死体からは、牛馬、蚕、栗、稗、稲、麦、大豆、小豆が生まれた。
アマテラスはこれらを回収させ、人間のものと定めた。これが作物の起源とされる。
太陽(アマテラス)と月(ツクヨミ)の不仲から昼と夜が生まれたとするこの神話は、殺されたウケモチの体から五穀が発生するという「穀物起源説話」にもなっていた。

古事記ではスサノオに役割をとられている

ただ『古事記』では同じ話がスサノオを主役に演じられていて、やはツクヨミには影の薄さが否めない。
高貴な生まれにありながら、目立たず謎多き神なのである。

月読宮、ツクヨミを祀る神社

イザナギ&イザナミ(の柱)と仲良く祀られている

ツクヨミを祀る神社は全国的にあまり多くはないものの、伊勢の神宮には内宮別宮として月読宮がある。
月読宮にはツクヨミとその荒魂(神の荒々しい側面を抽出したもの)、そして親神であるイザナギ、イザナミの四柱が祀られていて、四棟の社殿が並び建つ神宮内でも珍しい様式がとられ独特な景観をつくり出している。
また同様に外宮にも別宮として月夜見宮があり、こちらでもツクヨミとその荒魂が奉斎されている。

ツクヨミは暦の神、暦の役割は多い

暦をみる、農業の神様でもあった

かつて日本は太陽暦ではなく、月の運行を基にした太陰暦を用いていた。
ツクヨミはその名の通り、月を読む「暦」の神様でもある。
暦は作物の種まきや収穫の時期をはかるものであることから、ツクヨミは農業の神様でもあったのだろう。
ウケモチの神話は、月と農耕の関わりを表した神話だとも考えられている。

漁業、命、若返りの神でもあった

また海の干満を司り魚の産卵などに影響を与えることから、漁業の神様としても信仰があった。
また、月が満ち欠けを繰り返すことから、命と若返りを司る神とされることもある。

ツクヨミの誕生の物語

古事記では、イザナギの禊で生まれる

イザナギの右目からツクヨミが生まれた

『古事記』では、黄泉の国から帰ったイザナキは穢れを祓うため、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊を行った。
この時、左目を洗うとアマテラスが、右目を洗うとツクヨミが、鼻を洗うとスサノオが誕生した。この三神は特に尊い神とされることから三貴子と呼ばれる。

イザナギから、夜の国を統治するよう命じられる

イザナキは、アマテラスに首飾りの玉の緒を渡して、神々の世界である高天原を統治するように命じた。
そして、ツクヨミには夜の国を、スサノオには海原を統治するように命じたという。

日本書紀では、夫婦の間に生まれる

日本書紀の方が平和的なエピソード

一方、『日本書紀』本文では、イザナキとイザナミが神生みを行った後に話し合って、世界の主となる神様を産むことになる。
こうして、アマテラスを産み、続いてツクヨミ、ヒルコ、スサノオを産んだという。
また『日本書紀』一書では、イザナキが「天の下を統治する貴い神を生もう」と左手に白銅鏡を持ったときに日の神が生まれたとされる。


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