黄泉国

日本神話の黄泉国について

イザナミが行った黄泉の国とは?

火の神を産み、亡くなったイザナミ

イザナミは火の神・カグツチを産んだことで、下半身に火傷を負い、「神避る(かむさる)」事となった。
つまり死んでしまったのである。
そうしてイザナミは、葦原中国を去り、黄泉国へと向かった。
そこは、俗に「死者の国」と呼ばれる世界である。

黄泉国とは地下にあった?

謎に包まれる黄泉国について、江戸時代の国学者・本居宣長は、葦原中国の下に位置すると考えた。
現在の「蘇る」という言葉は「黄泉」から「帰る」事を語源にする。
『古事記』における黄泉国は、暗く、闇に包まれた恐ろしい世界であるとされるが、詳しい描写はない。

黄泉国とは古代の墓?

暗く、そこへ行った者が醜い姿になってしまう事から、黄泉国は“古代の墓の内部”を表しているという見方もある。
古代人は、肉親を埋葬した後にその亡骸を見に行くという風習があったとも云われる。
それがイザナギの黄泉国訪問の話に繋がっているのではないだろうか。

海を越えた常世国

古代の人々には、もう一つ死後の世界についての考え方が在った。
それは「人は死んだら、常世国へ行く」というモノだ。
常世国は海のはるか彼方にある、美しい、不老不死の国だという。
闇に包まれた黄泉国へ下ってしまう『古事記』の話とは全く異なる死生観である。

近くに在った黄泉国

ただ、『古事記』でも常世国について描写されているのだ。
オオクニヌシと共に出雲を建国したスクナビコナは、その後、常世国に渡ったと記されていた。
常世国は海を幾つも越えてやっとたどり着ける場所であるのに対して、黄泉国はイザナギにとっては行こうと思い立って直ぐに行ける近さに在ったのだ。
ずっと昔は、死者の世界も身近なモノと考えられていたのかも知れない。
そんな身近な黄泉国だったが、イザナギとイザナミの決別によって、人の国から切り離される事となったのである。

黄泉国から逃げ出したイザナギ

醜く変貌したイザナミ

妻の死の悲しみに耐え切れなかったイザナギは、妻のいる黄泉の国へと向かったが、そこでイザナギは醜い姿となったイザナミを目にしてしまう。
恐ろしくなったイザナギは、黄泉の国を逃げ出そうとする。
イザナギの反応に激怒したイザナミは「私に恥をかかせたな」と怒り、黄泉国の醜女を追手に差し向けた。
捕まるわけにはいかなかったイザナギは、手に持っていた様々な物を投げ、醜女を振り切った。

多くの植物によって逃げ切るイザナギ

先ず黒い葛(かずら)を投げると、そこに葡萄(ぶどう)の実が生え、醜女がそれを拾って食べている内に逃げた。
更に追いかけて来るので、次は髪に差していた櫛を投げると、そこから(たけのこ)が生え、また醜女がそれを引き抜き食べている内に逃げ進んだ。
そのうちにイザナミは黄泉国の軍隊までをも差し向けたが、イザナギは十拳剣を後ろ手に振りつつ、黄泉国と葦原中国の境である黄泉比良坂の麓までたどり着いた。
そこに桃の実が3つ成っており、それをもいで投げつけると、皆逃げ帰っていったという。
遂にはイザナミが自ら追って来た。
イザナギはそこに千引石を置き、黄泉国に繋がる道を塞いで、イザナミに離別を言い渡す。

呪術による逃走

この逃走劇は、逃走の手助けになるモノを呪術で生み出す、「呪術逃走」という形式の説話である。
葛を投げると葡萄が成ったり、櫛を投げると筍が生えるのは呪術の一種であり、後ろ手で何かをするのは相手を呪う行為とされる。
また、桃の実は古代中国では仙人の食べ物とされ、悪霊や邪気を祓う霊力が在ったと云われる。
最期の岩石は、悪霊邪気の侵入を防ぐモノと信じられていたのである。

イザナギが嫌った「穢れ」とは?

黄泉国から帰ったイザナギは、「何という穢れた国に行ってしまった事か。心身の穢れを祓う為に禊をしなければ」と考えた。
この「穢れ」「」「」とは、日本の神道における考え方である。
「穢れ」とは「あるモノが理想的ではない状態」を表す。
死は「穢れ」であり、穢れが憑いている人・モノは災いを引き寄せると考えられているのだ。

穢れを清める「禊」

穢れに触れた場合に水で心身を清める行為を「禊」という。
そして、災厄を引き起こす「穢れ」を浄化する、総括的な行為を「祓」という。
黄泉国での穢れを祓う為、イザナギは筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に行って、川の水で身を清めたという。
その際に、三貴子を含め26柱の神々が生まれている。

「禊」によって心身が清らかに

イザナギが禊を行う為に身に付けていたモノを脱ぎ、川に入ると神が生まれた。
初めに生まれた神は、人に災いをもたらす悪しき神だった。
続いて生まれた神は、災いをそれが起こる前の状態に戻してくれる神だった。
そのまま禊を続け、禊の最後に生まれたのが、最も尊いとされる三貴子である。
これは、禊を行う事で「穢れ(マイナスの力)」が削ぎ落され、心身が清らかになり、段々とプラスの力が生じていく事を表している。

「穢れ」とは悪意などの心のモノも含める

死は穢れであるが、穢れは死だけではない
日常において、自分の気持ちの中に生じた暗い考えや悪意によって穢れは創り出されるのである。
知らず知らずのうちに、心身に穢れをためているのだ。
それを祓うのが、水で手を洗ったり口をゆすいだり、盛り塩をしたり、神棚や神社に参拝する行為である。


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