始祖がアマテラスである理由

イザナギでなく天照が始祖なのは何故

なぜ天皇家の始祖はイザナギ(父)でなくアマテラス(子)なのか。
それは、天皇とは日神の末裔であった為、始祖としては、日神(太陽神)のアマテラスの方が相応しかったから、だと思われる。
イザナギはアマテラスの父ではあるが、国土を生んだ神であり、日神ではなかった。
下に簡単にまとめる。

一番最初はイザナギが中心だった

天照を生んだのがイザナギなら、始祖はイザナギではないのか?

なぜイザナギは皇祖神ではないのか、疑問に持たれることが多い。
神話を遡れば、アマテラスより以前はイザナギが高天原の中心であり、それは『古事記』『日本書紀』ともに変わらない。
アマテラスは『古事記』ではイザナギひとりから分裂して生まれ、『日本書紀』ではイザナギとイザナミの夫婦の間から生まれたが、アマテラスの父がイザナギなら始祖もイザナギであると考えるのは自然な発想ではなかろうか。

イザナギとイザナミは皇祖神として扱われた事が無い

しかし、イザナギが祀られる淡路島の伊弉諾神宮(多賀の伊佐奈伎神社)が皇室祭祀の対象になったことはなく、近代以降の皇統譜では、天照皇大神が「世系第一」、神武天皇が「皇統第一」と位置づけられ、イザナギとイザナミは皇祖神として扱われていない。
これには幾つか理由を上げることができる。

  • 神話学では、イザナギとイザナミは淡路島の神々であり、『記紀』が編纂された際に取り込まれたとする見解
  • 古代史研究では、アマテラスも伊勢の地域神だったが、壬申の乱以降の天武天皇の時代に皇祖神にされたといわれる

もともと天皇家は三輪山のオオモノヌシを主な守り神として祀っていたが、いつのまにかアマテラスを主に祀るようになっていったが、何がしかの組み換えが在ったのは確かだ。
ただ、オオモノヌシと違って、イザナギは一度も特別に祀られるような事は確認されていないということ。

神話的には天照始祖のほうが正統性はある

イザナギとイザナミは「生む」ことが主な役割だった

神話的な観点から見てみる。
そもそもイザナギとイザナミは、国土から山川草木をはじめ、日本の森羅万象を生み出した神々だった。
イザナが「誘う」に通じ、冒頭の生殖に関する神話から生み出す神々として描かれている。
それは、「天下の主者」をも生み出す神であり、皇祖神以前ということになる。

キーワードは「日神」か

「日本」という国号から「表記」への執着が覗える

アマテラスは、「天下の主者」として生まれた神であり、その子孫(皇孫)は、神武東征におけるカムヤマトイワレビコの兄・イツセ(五瀬命)の発言に「日神御子(古事記)」「日神子孫(日本書紀)」という系譜意識が明記されている。
天皇とは日神の末裔であり、アマテラス(天照大神・大日霙貴)以外あり得なかったのではなかろうか。
「日本」という国の主が天皇なのだから、天皇の始祖は「“日”神の“天”照」が相応しい(表記上は)。

なお、キーワードが「日神(ひみ)」だからといって、安易に邪馬台国の女王・卑弥呼と関連づけるのは止めよう。

日本列島を生みだしたイザナギも祖先ではある、つまり…

同時に、アマテラスを、日本列島を生み出したイザナギの子に位置づけることで、アマテラスは天地創造と結びつくことができたのである。
結果的に天皇家は日本列島を生みだしたイザナギとも繋がりを確保でき、正統性はアマテラスを始祖とする事で確保した。
つまり、政治的な事情で「始祖を選りすぐりした」のではないだろうか。

天武天皇によって天照が祀られる

『記紀』の編纂にあわせ、歴史が組み替えられた

壬申の乱で伊勢のアマテラスを拝み、勝利を得た大海人皇子(天武天皇)が『記紀』編纂に関わった。
天武天皇は、斎王の制度を定め、伊勢の斎宮を設置してアマテラス祭祀が本格化されていく。

天照信仰がそのまま天皇の正統性となった

やがて伊勢神宮の内宮で祀られるアマテラス、宮中内侍所の神鏡で祀られるアマテラス、大日如来と一体化するアマテラスなど、独自の歴史を歩み、新たな神話が作られていく。


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