天照の誕生神話と記紀

アマテラス誕生の諸説、説話の違い

イザナミは天照の母なのか?違うのか?

『日本書紀』には、夫婦の間に天照は生まれたとある

天皇の始祖とされる太陽神・アマテラスはイザナギ(伊邪那岐命)の左目から生まれた、イザナミ(伊邪那美命)とアマテラスとは直接の接点はなかった、とされるが、これは『古事記』での話である。
もう一つの日本神話を記した正史『日本書紀』によれば、アマテラスはイザナギとイザナミ夫婦神の間に生まれた子神だという。
もちろん、弟であるスサノオツクヨミも、夫婦によって生まれたという。
『古事記』と『日本書紀』(つまり『記紀』)は全く同じタイミングで同じ天皇によって編纂が命じられた史書であるにも関わらず、その内容は食い違っている。
そしてそれは、アマテラスに関する記述も同じであった。
アマテラス誕生におけるエピソードの『記紀』の違いを簡単にまとめる。

『古事記』と『日本書紀』は違う点が多い

政治情勢にあわせ、内容が選りすぐりされたか

日本の神話は、『古事記』と『日本書紀』に記されていることで知られ、一般的には、「日本神話」や「記紀神話」と呼ばれる。
しかし、日本神話といったとき、現代の日本人の感覚では、北海道と沖縄も日本なのだが、その「日本神話」からはアイヌや琉球の神話は除かれてしまう。
実はこれは記紀神話でも同様で、近年の神話研究によると、『古事記』と『日本書紀』は、成立や内容、表記が異なるモノであることが分かっている。
『記紀』では政治的な事情も踏まえ、内容が吟味されているのだろう。

日本書紀の注釈「一書(あるふみ)」が更に厄介

『日本書紀』は本文の正文とともに「一書(あるふみ)」と呼ばれる別伝が注記され、ひとことに『日本書紀』と言っても中身は複雑で、実は日本書紀内でも内容に食い違いがある。
このページでは、アマテラスの神話を『古事記』と『日本書紀』の違いに注目してまとめる。

「天照」という表記は両史書で使われている

日本書紀・一書で「天照大神」と記される

「アマテラス(天照)」の漢字表記も『古事記』と『日本書紀』で異なる。
『古事記』では、天照大御神と書き、『日本書紀』正文では、日神や大日霊貴として初登場し、一書の情報として、天照大神または、天照大日霊尊の名前が注記される(ただし、途中から天照大神の表記)。
アマテラスオオミカミ、オホヒルメノムチと異なる呼び名があるアマテラスは、『古事記』『日本書紀』ともに日神として登場するため、太陽神であることは間違いない。

表記や太陽神である事などは『記紀』で一致しているが、アマテラスがどのように誕生したのかについては『古事記』と『日本書紀』でかなりの違いがみられる。

『古事記』の天照誕生エピソード

イザナミが死去、イザナギの左目から生まれる

『古事記』では、イザナギとイザナミの二神が国造りをした後、火の神 カグツチ(火之迦具土神)を生んだイザナミは、火傷がもとで「神避(かむさり:逝去)」し黄泉国(死者の国)に行く。追いかけたイザナギは、イザナミを発見するが、絶対に見てはいけないという禁忌を破り、変わり果てたイザナミの姿を見てしまう。怒ったイザナミは、ヨモツシコメ(予母都志許売:黄泉国にいる鬼女)を遣わしてイザナギを追い詰めるが、イザナギは脱出し、夫婦神は別離することとなった。戻ったイザナギが「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」で禊祓(罪や穢れを祓い清める神事)をしたとき、左目を洗うとアマテラスが誕生し、右目を洗うとツクヨミ(月読命)、鼻を洗うとスサノオ(建速須佐之男命)が生まれた。かくしてイザナギは、アマテラスに高天原を任せた。

これが、『古事記』におけるアマテラス誕生のエピソードである。

『日本書紀』の天照誕生エピソード

夫婦神が「天下之主者(天照)」を意図的に生んだ

陽神イザナギ(伊弉諾尊)と陰神イザナミ(伊弉冉尊)の国土創造は同じだが、イザナミは死なず、イザナギの黄泉国訪問のエピソードは正文には出てこない。
国土や山川草木海を生んだイザナギとイザナミは、「天下之主者」を生もうと言い、生まれたのが日神の大日霊貴であり、続けて月神(月弓尊)、栄戔鳴尊、蛭児が誕生した。
大日霊貴が生まれたとき、天地四方が隅々まで照り輝いた。
夫婦神は喜び、「天上の事」を任せようと言い天柱を通じて天へと上げた。

『日本書紀』一書のエピソードもやや違う

「天の下を統治する尊い御子」が計画的に生まれる

このように、『記紀』の神話は、それぞれ似ているようで異なる。
『日本書紀』一書は、いくつか『古事記』と似ている神話が含まれるが、一書第一は、イザナギが「天の下を統治する尊い御子を生もう」と言って左手に白銅鏡を持つと大日霊貴が生まれる。

『日本書紀』は政治臭が強い

重要な点は、天の下を治める者が誰のことか、である。もちろんアマテラスのことであろうが、皇室の始祖とされるアマテラスが最初から「天の下を統治する尊い御子」として計画的に生まれた、と在るのだが。
流石にこれは、自然にできた神話などではなく、政治情勢から意図的に創られた神話ではなかろうか?と疑ってしまう。


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