クルスクの戦い

クルスクの戦い(ツィタデレ作戦)

ドイツvsソ連、史上最大の戦車戦

諜報戦術においてソ連がドイツの上をいく

クルスクの戦い、1943年7月から8月にかけて行われたドイツとソ連の戦い、「史上最大の戦車戦」として知られる。
ドイツ軍が形勢逆転を賭けたツィタデレ作戦を展開、ソ連軍の包囲・殲滅を狙うも、ソ連軍は諜報活動を通じて事前に情報を得ていた。
ソ連軍はクルスクの防御を徹底的に固めて大平原に罠を築き、ドイツ軍戦車を待ち伏せ攻撃。
ドイツ軍の進撃はソ連の防御に阻まれるも、戦車戦ではドイツが優位に戦闘を進めた。
しかし、同時期に連合軍がイタリア侵攻を開始した為、ドイツ軍が作戦を中止、ソ連軍の勝利に終わる。
これ以降、ドイツはソ連に対し防戦一方になる。
クルスクの戦いを簡単にまとめる。(1943年4月14日〜8月23日)

クルスクの戦い年表

4月14日 ヒトラー「ツィタデレ作戦」を承認
4月 ソ連軍クルクス攻撃を察知
7月5日 ドイツ軍が攻撃を開始
7日 南部戦線のドイツ軍がオボヤンとプロホロフカ方面へ侵攻
8日 北部戦線で、オリホヴァートカ高地を巡り激戦
10日 ソ連軍が北部戦線に予備兵力投入
ドイツ軍がプロホロフカに戦力を結集
12日 プロホロフカ戦車遭遇戦
ヒトラー作戦中止を命令
8月5日 ソ連軍がオリョールを解放
23日 ソ連軍がハリコフを解放

スターリングラードで独ソの形成が逆転

ドイツ軍がソ連の進軍に抵抗するかたち

スターリングラードで勝利したソ連軍は以降も前進を続けたが、第三次ハリコフ戦で足止めされた。
その結果、ハリコフ北翼にソ連軍の巨大な西向きのバルジ(突出部)が形成され、その中心がクルスクだった。

モスクワの寒さに阻まれたドイツ軍の快進撃

ドイツは、バルバロッサ作戦において、モスクワ近郊の寒さの前に作戦失敗に追い込まれたが、1943年春、ドイツ軍の攻勢が可能となる3度目の季節が到来した。
だがすでに、同軍にはかつてのような全面攻勢に出る体力はなかった。

形勢逆転を狙うドイツ

「ツィタデレ作戦」ソ連軍を包囲殲滅する計画

そこで着目されたのが、この巨大なバルジ(「突出部」の意)であった。
ドイツ軍は、バルジを南北から攻めて包囲環を形成し、内部のソ連軍を殲滅することで、東部戦線での新たなる攻勢の切っ掛けにしようと考えた。
そしてヒトラー肝入りで策定が進み、「ツィタデレ(城塞の意)」作戦と命名された。

ソ連が防御を徹底してドイツを待ち伏せ

スパイ経由で作戦情報が洩れてしまう

ところがソ連軍は、ドイツ軍捕軍捕虜やスパイ活動から得た情報により、この作戦の詳細を察知する。
太平洋戦争では日本軍もアメリカ軍に情報を抜き取られてしまっていたが、第二次世界大戦において、枢軸国は連合国にことごとく情報戦で敗れている。

事前にクルスクを徹底的に要塞化したソ連

ソ連軍はドイツ軍を待ち伏せする為に、クルスク突出部の外周だけでなく、内側を仕切るような形で計8層もの防御陣地を設ける。
そしこの陣地造りの際に、パック・フロントと呼ばれる縦深複合構造の対戦車砲陣地が考案されたのだった。

万全の待ち受け態勢を築いたソ連

クルスク突出部を守るのは、北翼が中央方面軍で南翼がヴォロネジ方面軍。
また、突出部の東側(付け根の奥)にはステップ方面軍が、予備と機動打撃兵力を兼ねて配置されていた。
さらにドイツ軍が攻勢を開始した時点で、西部方面軍、ブリャンスク方面軍、南西方面軍も反攻する予定だった。

ドイツ軍も攻撃部隊はしっかり構築

片やドイツ軍は、突出部を「食い切る」ための「上顎」と「下顎」を用意した。
「上顎」つまり北から食いつくのは中央軍集団の第9軍。
「下顎」つまり南から食いつくのは南方軍集団の第4装甲軍とケンプフ軍支隊だ。
そして「上顎」と「下顎」の間の西正面を押さえ込むのが、中央軍集団の第2軍だった。
これらの軍には、ティーガーI重戦車やパンター中戦車、フェルディナント重駆逐戦車やブルムベア突撃砲など、強力な新型戦闘車両が配備されていた。

ソ連の事前攻撃で「ツィタデレ作戦」開始

作戦を知っていたソ連が逆に奇襲攻撃

7月5日未明、ドイツ軍の作戦開始日だったにもかかわらず、件の情報漏れのせいで、ソ連軍が先に阻止砲撃を開始することで「ツィタデレ」作戦の幕は上がった。
ソ連軍は、砲撃に加えて航空攻撃も行ったが、ドイツ空軍の迎撃で逆に大損害を被っている。
そのおかげで、ドイツ軍は作戦地域の制空権が確保できた。

緒戦はドイツ軍が快進

ソ連軍に先手を打たれたドイツ軍だったが、攻勢は着実に進められた。
「下顎」を担当する第4装甲軍とケンプフ軍支隊は、ソ連軍の防御陣地を順次突破して北へと前進。
だが「上顎」担当の第9軍は、堅固な陣地帯に立て籠ったソ連軍の激しい抵抗を受けて、その前進は頻繁に停滞した。

戦力で上回るソ連が耐え抜き、ドイツの進軍が止まる

作戦開始後約1週間が過ぎると、予備兵力が大きいソ連軍は、多大な犠牲にもめげずドイツ軍の「行き足(侵攻)」を抑え込んでいた。
当初は順調だった「下顎」の進撃は衰え、最初から停滞した「上顎」は、ほぼ停止状態となってしまう。

クルスクの巨大なバルジで壮絶な戦車戦

ドイツ軍の狙いを的確に阻むソ連軍

激戦のなか、第4装甲軍のSS第2装甲軍団は7月12日にクルスク南方の小都市プロホロフカへと進んだ。
同地には鉄道駅あり、これを押さえればソ連軍の増援を阻止でき、南翼側の防衛態勢そのものを崩壊させられる可能性があった。
ところがソ連軍も同地の重要性を認識し、第5親衛戦車軍を配していた。

数で劣るドイツが、戦車戦では勝利

かくして、SS第2装甲軍団の精鋭SS装甲師団3個と第5親衛戦車軍の戦車が随時激突。
プロホロフカ戦車遭遇戦が始まった。
この戦いに参加した双方の戦車数には諸説あるが、ドイツ軍250〜350輌、ソ連軍600〜900両で、前者が40〜70輌、後者は300〜350輌を失ったという説が有力とされる。

連合軍のイタリア侵攻が開始

ヒトラーが作戦を中止する

ドイツ軍は、戦車遭遇戦には圧勝したが、ヒトラーは作戦自体を中止した。
じつは7月10日に連合軍がシチリア島へ上陸したため、イタリア戦線の強化が必要となり、東部戦線から部隊を移動させざるを得なかったのだ。


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