普段、出島で生活をしていたオランダ人たちは一体何を楽しんでいたのだろうか?
スポーツや飲食物など、現代の日本では当たり前となっているものが、当時、出島の人々だけで親しまれていた。
出島に住んでいたオランダ人の風習や奇談などを紹介した「紅毛雑話」の中に、バドミントンによく似たラケット(羽子板)、ウーラング(羽根・シャトル)を使って野外で遊んでいる絵が描かれている。
「紅毛雑話」に描かれている図はバドミントンそのものであり、バドミントンがヨーロッパで広がる前に、既に出島に住んでいた人たちは「紅毛羽子板」であるバドミントンを楽しんでいたのだ。
オランダ船の入港は、旧暦の7月が最も多く、約二ヶ月停泊して、9月20日までに出航するのが通常だった。
10月から翌6月は出島の仕事も暇になり、オランダ商館院たちは色んな事をして、余暇を過ごしていた。
その一つがビリヤードである。
明和4年(1764年)にビリヤードの玉突き代がすでにオランダ商館に据え付けられていたといわれている。
川原慶賀(かわはら けいが)も唐館蘭蘭絵巻の蘭館の巻きに「玉突図」を描いている。
ビールは鎖国後、オランダ船によってもたらされた物だ。
オランダ人はぶどう酒よりもビールを愛飲していた。
日本でビールが商品として造られたのは明治12年の事である。
コーヒーは徳川初期の頃に、オランダ船から伝えられた。
最初は苦くて、敬遠されていたが、シーボルトが長崎に来た1823年にはかなりのコーヒー党がおり、明治は長崎にもコーヒー店が出来たのだ。
レンゲソウに似ている事から「オランダレンゲ」と呼ばれ、「シロツメクサ」の別名もあるクローバー。
このクローバーは、幕末に近い弘化年間(1844年〜1847年)に長崎に渡来してきた。
オランダ船で運ばれてくる荷の中には、医療器やギヤマンなどが壊れないように干し草が詰められていた。