西暦 | 元号 | 主な出来事 |
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1570年 | 元亀元年 | 長崎開港 |
1571年 | 元亀2年 | ポルトガル船が初めて長崎に入港する |
1580年 | 天正8年 | 大村純忠が長崎と茂木をイエズス会に寄進する |
1588年 | 天正16年 | 豊臣秀吉が長崎・茂木・浦上を天領(直轄地)とする |
1600年 | 慶長5年 | オランダ船リーフデ号が臼杵(大分県)に漂着 |
1602年 | 慶長7年 | 連合オランダ東インド会社設立 |
1609年 | 慶長14年 | 平戸にオランダ商館が設置される |
1612年 | 慶長17年 | 幕府が天領にキリスト教禁教令を発する |
1634年 | 寛永11年 | 出島築造が始まる |
1636年 | 寛永13年 | 出島完成、ポルトガル人を出島に収容する |
1637年 | 寛永14年 | 島原・天草一揆 |
1639年 | 寛永16年 | ポルトガル船の来航禁止 出島のポルトガル人が国外へ追放される |
1641年 | 寛永18年 | オランダ商館、平戸から出島に移転 |
1678年 | 延宝6年 | 出島橋を木橋から石橋へ架け替え |
1690年 | 元禄3年 | オランダ商館医、ケンペルが来崎する |
1775年 | 安永4年 | オランダ商館医、ツュンベリーが来崎する |
1798年 | 寛政10年 | 出島大火(カピタン部屋を含む大半を焼失する) |
1799年 | 寛政11年 | 連合オランダ東インド会社解散 |
1804年 | 文化元年 | ロシア使節レザノフが長崎に入港し、通商を要求 |
1808年 | 文化5年 | イギリス軍艦フェートン号事件 |
1809年 | 文化6年 | カピタン部屋再建 |
1823年 | 文政6年 | オランダ商館医、シーボルトが来崎する。 |
1828年 | 文政11年 | シーボルト事件が起こる |
1844年 | 弘化元年 | オランダ国王、日本に開国を勧告 |
1854年 | 安政元年 | 日米和親条約を締結 |
1855年 | 安政2年 | 海軍伝習所開設、日蘭和親条約を締結 |
1859年 | 安政6年 | 出島のオランダ商館を廃止し、領事館を開設 長崎、神奈川、函館が開港される |
1866年 | 慶応2年 | 外国人居留地に編入 |
1888年 | 明治21年 | 中島川変流工事により、出島の北側を削除 |
1904年 | 明治37年 | 第2期長崎港湾改良工事により出島が内陸化 |
1922年 | 大正11年 | 国の史跡に指定 |
1951年 | 昭和26年 | 復元整備事業に着手 |
1990年 | 平成2年 | 表門を復元 |
2000年 | 平成12年 | ヘトル部屋など5棟復元、南側・西側護岸石垣の一部を修復・復元 |
2006年 | 平成18年 | カピタン部屋など5棟復元、南側護岸石垣全体を修復・復元 |
2016年 | 平成28年 | 筆者蘭人部屋など6棟復元 |
2017年 | 平成29年 | 「出島表門橋」が復元。 これにより、江戸時代に出島に出入りした役人や商人らと同じ目線で出島を体験する事が出来るようになる。 |