祇園祭

祇園祭〜八坂神社の祭礼

祇園祭は八坂神社(祇園社:京都市東山区)の祭礼で、京都の夏を彩るお祭り。疫病を鎮める山鉾(やまぼこ)が各町を巡る。貞観年間(859〜877)より、町衆によって支えられ、現代まで続く。明治までは祇園御霊会と呼ばれた。

目次

祇園祭〜町衆が支えたお祭り

巨大な山鉾が京都をめぐる夏の風物詩

「コンチキチン」の独特な祇園囃子とともに巨大な山鉾が京都の中心部を練り歩く祇園祭は、京都の夏を彩る祭りである。

京都の町衆に支えられ1000年以上も続く

1000年以上前から続く祇園祭だが、その継続は簡単なものではなかった。
この祇園祭を維持できたのは、京都の町衆たちによる篤い信仰があったからだ。

応仁の乱によって中断も、町衆が再興を果たす

応仁の乱によって3年間にわたる中断後、明応9年(1500)、町衆に祇園祭が再興されたが、その中心となったのが中世の座商人である。(座とは、中世における組合のようなもの、その後ろ盾を担ったのが寺社だった)
祇園社では7座を管理し、座商人は祇園社に奉仕する神人として奉仕したり、寄進を行ったりした。
これに対して、祇園社からは特定の商品の独占的な販売が担保された。

祇園社社領の地域は養蚕が盛ん

江戸時代に宝寿院行快により著された『祇園社記』によると、祇園社の座は、材木座、綿座、練絹座、小袖座、袴座、菓子座、釜座である。
服飾関係が多いのは、祇園社の社領が養蚕の盛んな地域が多かったためである。

室町幕府に逆らってまで祇園祭を強行

16世紀初頭には、一向一揆などによる政情不安から室町幕府によって神事などが禁止されたが、京の町衆は「祇園祭は神事ではなく、山鉾が町内を練り歩くだけだ」として反対を押し切って山鉾巡行を強行した。
こうした住まいや商売と深く結びついた祇園祭は、現代へと継承され、山鉾は各町会によって維持・運営されている。

祇園祭中はキュウリを食べない

祇園祭の期間中は、キュウリを食べてはいけないという風習がある。
いつはじまったのかは定かではないが、これは八坂神社の神紋がキュウリの切り口に似ているからだとされる。
この風習を山鉾町の氏子は今も厳重に守っており、祇園祭への町の人々の想いがうかがえる。

山鉾巡行〜迫力と優美さを備える

祭は毎年7月1日から31日まで

祇園祭は毎年7月1日から31日までの1ヶ月続き、日本三大祭の1つとして知られる。

期間中に巡行順を決めるクジ引きが開催

7月2日、期間中さまざまな祭事が行われる。
7月2日には、17日と24日の山鉾巡行の順番を決めるクジを引く禰取式が行われる。
各山鉾町の代表者が集まり、京都市長が立ち会う中でクジが引かれる。

7月10日、神輿洗式〜神輿に鴨川の水を振りかける

7月10日には、神輿3基のうち2基を舞殿に安置し、中御座神輿のみが曳かれて四条大橋に向かう。
橋の上では、神輿に鴨川の水を振りかける「神輿洗式」の神事が行われる。
神輿洗式の神輿を迎えるため、お迎提灯が立てられ、巡行される。

7月17日、山鉾巡行(前祭)

山鉾巡行が行われる前日を宵山と呼ぶ。山鉾の提灯が灯され、祇園囃子が流れる。
そして17日、山鉾巡行(前祭)が行われる。

7月17日〜24日、無言詣り

山鉾巡行が終わった夕刻には、南楼門から中御座・東御座・西御座の3基の神輿が出発し、各町内を巡ったのちに、四条寺町の御旅所に24日の還幸祭まで安置される。
17日から24日までの7日間にこの御旅所に参拝し、誰に会っても無言で通すと願いが叶うとされる「無言詣り」という風習がある。

平成に復活した後祭

7月24日、山鉾巡行(後祭)

7月24日には再度、山鉾巡行(後祭)が行われる。
後祭は平成26年(2014)に復活し、橋弁慶山を先頭に鉾1基、山10基の合計11基の山鉾が烏丸御池に集まった後に所定のルートを巡行する。
同日に行われるのが花傘巡行である。
後祭の山鉾巡行は、昭和4年(1966)に前祭の17日に合わせられたために、新たにはじめられた行事である。

山鉾巡行の原初的な形態を再現

氏子区域の各学区の子供神輿や、花街、芸舞妓、久世六斎、雅楽、獅子舞など総勢1000人もの行列が町を巡る。山鉾巡行の原初的な形態を再現したかのような趣きがある。

還幸祭が終了

山鉾巡行後の夕刻、3基の神輿が御旅所を出発、八坂神社の境外社である又旅社での祭典後に、八坂神社に戻る。
御霊代を本殿に遷し、還幸祭が終了する。

最終日、疫神社で夏越祭

祇園祭の最終日には、疫神社で夏越祭が行われる。参拝者は設けられた茅の輪をくぐって無病息災を願う。またこの日には「蘇民将来之子孫也」の護符が授与される。
こうして1ヶ月にわたって行われた祇園祭の幕が閉じる。

山鉾とは〜動く美術館

一口に「山鉾」と呼ぶが、「山」と「鉾」はそれぞれ異なる。

「鉾」高さ約25m、重さ約12トン

鉾は高さ約25メートル、重さは約12トンある。車輪の直径は大人の身長よりも大きい直径約1.9メートル前後ある。鉾の綱を引く曳手は約40〜50人、鉾に乗る囃子方は35〜40人いる。鉾の屋上には、電線等の障害から鉾を守る4人が乗る。車軸の上に立ち、曳手と車方を指揮する音頭取は、2人だ。独特な調子の祇園囃子は山鉾ごとに数十曲が伝承されている。八坂神社に向かうまではゆっくりとした曲調であるのに対して、四条通河原町を北上する時は「戻り囃子」と呼ばれ、速い調子になる。

「山」高さ約6m、重さ1.2〜1.6トン

山の高さは約6メートル、重さは1.2〜1.6トンあり、ご神体の人形が乗り、松の木が立てられる。山の中でも岩戸山、北観音山、南観音山鷹山は鉾と同じ構造で、松の木のかわりに真木が立てられ、高さは約15メートルある。

八坂神社のほかの祭事

年間約70の祭事

八坂神社では、祇園祭以外にも年間約70の祭事が行われているが、中でも正月の行事では多くの人で境内が賑わう。

をけら詣り〜無病息災を祈る清浄な火

キク科の植物・白朮(をけら)を炊き上げる

八坂神社の新年は、「をけら詣り」ではじまる。
大晦日の午後7時30分頃から元旦の午前5時頃まで執り行われる。
大晦日の午後7時から除夜祭が執り行われた後に、キク科の植物である白朮の欠片と1年間の無病息災を祈願した「をけら木」が炊き上げられる。
白朮の根を乾燥させたものを燃やすと強い匂いが発せられ、古くから邪気を祓うとされる。

をけら火〜古式に則った御神火

「をけら詣り」に用いられる火は、12月28日に行われる鑚火式で、古式に則ってつけられた御神火である。
かつては、参拝者が「をけら火」を火縄に移して持ち帰り、雑煮を炊く火種や神棚の灯明などに用いると無病息災になるとされた。
現在では「をけら火」を消した火縄を火伏せのお守りとして授与している。

1月3日、初能奉納

1月3日には、金剛流・観世流各家元による「翁」と「仕舞」の初能奉納が行われる。
「翁」は「能にして能にあらず」といわれるほど神聖視されるもので、国家安泰・天下泰平・五穀豊穣が祈願される。

1月9〜10日、蛭子社祭

1月9〜10日には、蛭子社祭が行われる。
境内にある蛭子社は大国主神の子・事代主神が祀られている。
事代主神はエビス様として信仰され、蛭子社は「祇園のえべっさん」として親しまれている。
蛭子社祭で授与される福笹は、商売繁盛・家内安全のご神徳があるとして人気がある。

2月の節分祭

2月の節分に行われる節分祭では、花街の舞奉納が行われる。撒かれる福豆には空クジなしの景品福引がついており、氏子地区の商店街から1万点以上の景品が出される。


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