淡路島と国生み神話

淡路島と国生み神話

淡路島は日本神話の国生みの物語で一番最初に誕生した島であるが、その淡路島には弥生時代後期の鉄器工房跡が遺されている。
鉄器はヤマト王権成立において重要な役割を務めているが、日本神話においても天照スサノオに鉄剣を託し、スサノオが鉄器を地上に持ち込み人間に渡るという、重要なモノとして描かれている。
神話は神話であり史実とは違うのだが、しかし、神話と史実に不思議な共通点が在るのもまだ事実である。
一番最初に誕生した島・淡路島が、日本史において重要な役割を務めていたのは間違いないだろう。
>> 鉄と剣の神話と古代史

国生み最初の島に鉄器工房が

日本列島で一番最初に誕生したされる淡路島

淡路島では住居や古墳など、多くの弥生時代後期の遺跡が発見されている。
なかでも、大規模な鉄器製造技術の存在と海外交易が行われていたことを示す舟木遺跡は、ヤマト王権を支えた鉄器工房跡として注目される。

弥生時代に近畿最大の鉄器工房が

淡路島はイザナギ・イザナミが最初の国土や神々を生み出した神話の舞台として知られている。
この地は、弥生時代には鉄器の製作・保有の拠点とみられ、過去にも近畿最大の鉄器生産工房跡とされる五斗長垣内遺跡から、鉄製武器や工房12棟が見つかっている。

神話に描かれた日本の成り立ち

「国生み神話」はイザナキとイザナミが足場となる「おのごろ島」を創るところから始まる。
おのごろ島の比定地については諸説あるが、淡路島周辺にある離島も候補の一つとして挙がっている。
神話によれば、おのごろ島に降り立った二神は天の御柱を立て、御殿を建てて結婚し、8つの島を生んで日本列島を形成したという。
その際、最初に生んだのが淡路島(淡道之穂乃狭別島)であった。

スサノオが地上に持ち込んだ鉄器

スサノオが持ち込んだ鉄器工房がある淡路島

国土創世の物語にこれほど淡路島が出てくるのは、それだけヤマト王権にとって重要な島だったのではないか。
国生みの後、アマテラスがスサノオに鉄剣を渡し、スサノオが日本列島(葦原中国)に鉄器を持ち込む様子が描かれているが、鉄器といえば淡路島なのだ。
大規鉄器製造技術の存在を示す舟木遺跡も、淡路の重要性を裏付ける一端になっている。(こじつけと言われればそれまでだが)

高地集落に鉄器工房が在った

淡路島の舟木遺跡

2017年(平成29年)、それを上回る規模の鉄器生産工房跡(4棟の大型竪穴住居跡と57点の鉄製品)が舟木遺跡で発見された。

標高約160mの高地に集落と工房

舟木遺跡は、淡路島北部の標高約160メートルの山あいにある弥生時代後期の高地集落遺跡。
面積は約4万平方メートルで、周辺約200余りの集落をまとめる役割を担ったと考えられている。

海上物流の要衝、重要拠点か

大規模な鉄器工房跡が発見されたことで、古代の淡路島が瀬戸内海の海上物流ルートの要衝だった可能性が高まっている。
工房があるということは、この地で原料輸入や製品輸出が行われたことを示している。
淡路は西からの物資や情報中継する玄関口で、海外からも最先端の鉄器文化が入って来ていたと考えられる。

ヤマトにとって重要な場所だった淡路島

大王が淡路を訪れていた

この淡路島の高所集落工房とヤマト王権との繋がりが注目される。
日本書紀』には大王が狩猟のために淡路島をたびたび訪れたという記録があり、大王家と淡路の間に深いつながりがあった事が示されている。

御食国

御食国として皇室や朝廷に贄(神または天皇に供する食物の総称)を貢ぐなど、ヤマト王権の勢力が拡がった背景には、淡路島の存在があった。

航海術に長けた淡路の海人

ヤマト王権に仕えて活動した

淡路は明石海峡と鳴門海峡という海の難所に挟まれており、そのせいもあってか航海術に長けた「海人」が積極的に活動していた。
淡路の海人は「御原の海人」「野島の海人」などと呼ばれ、ヤマト王権に仕えていたと考えられている。
『日本書紀』には阿曇氏が海人を率いたという記録もあり、淡路島にはヤマト王権が頼みとした軍事勢力が存在した可能性が高い。

淡路各地に残る神話の舞台

おのごろ島を彷彿とさせる

淡路島にはおのごろ島を彷彿とさせる場所が沢山あるが、なかでも淡路島の南にある沼島は、珍しい形状の岩石が多くて国生みの世界観を醸し出している。
矛先のような形をした高さ約30mの上立神岩は、天の御柱だったとも云われている。
また、淡路島の岩屋港にある絵島という小島には、イザナミとイザナギ、さらには二神の最初の子であるヒルコを祀った岩樟神社がある。


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