鉄と剣の古代史

「鉄と剣」の神話と古代史

古代日本において、刀剣や農具の材料になった鉄は権力の象徴として登場しており、その重要性がうかがえる。
神話の世界にも鉄剣や鉄刀は武器として、国を富ませるものとして重宝されてきた。

鉄によってヤマト王権が成立

鉄は農耕具や武具として高い需要があったが、ヤマト王権がその利権を独占したことで勢力を拡げることができたと考えられる。
そして、鉄の産地である朝鮮半島で優位な立場に立つため、ヤマト王権のリーダーは中国王朝に遣いを送った。

クニ(国)成立直前に鉄器が渡来

鉄器出現は神話と歴史で時期が重なる

歴史上はヤマト王権の成立の少し前、弥生時代後期には鉄器が入って来ていた。
神話上もヤマト王権の成立前、スサノオがアマテラスから「十拳の剣」という鉄剣を渡され、その地上に降りている。
日本に鉄器を持ち込んだのが「神様だったのか渡来人だったのか」が違うだけで、日本列島(葦原中国)に鉄器が持ち込まれた時期については、神話上と歴史上とでタイミングが一致している。

天照がスサノオに鉄剣を渡す

アマテラスはスサノオに対して「高天原の統治権を奪おうとしている」との嫌疑を掛け、スサノオはそれぞれの持ち物を交換して「誓約」という占いをした。
その際、スサノオはアマテラスに十拳の剣を渡した。
古代において剣は鏡や勾玉に並ぶ王権の象徴であり、神話の重要な場面でたびたび登場する。

弥生時代には日本に鉄器が渡来

十拳の剣が鉄製だったか青銅製だったかは分かっていないが、金属だったのは間違いないだろう。
スサノオが鉄器を日本に持ち込んだ時期を無理やり西暦に比定するなら恐らくBC4世紀頃、日本にクニ(国)が出来る少し前の頃だろうか。
青銅器と鉄器の製造技術の伝来はともに前3世紀頃。(弥生時代年表)
ただし、鉄製品が国内で本格的に生産されたのは古墳時代中期以降とされる。

鉄の原料や鉄製品は大陸からの輸入品だった

日本において鉄器の使用が本格的始まったのは弥生時代とされており、当初は鉄の産出や製鉄技術がなかったので、中国大陸や朝鮮半島からの輸入に頼っていた。

国内製鉄は5世紀ごろ

その後、日本でも製鉄が始まったが、開始時期については諸説ある。
遺跡の発掘などから5世紀には既に始まっていたとみられるが、一方で、弥生時代の時点で製鉄技術も在ったのではと主張する識者もいる。
弥生時代の製鉄とみられる遺構も発掘されており、鉄製品は朝鮮半島からの輸入に頼っていただけではなかった。(もちろん、輸入の方が圧倒的に多かった)

鉄鉱石は朝鮮半島に依存

鉄鉱石の産地は、現在の岡山県・広島県にまたがる吉備などが上げられる。
しかし、日本では鉄鉱石の埋蔵量が少ないことから、朝鮮半島からの輸入に依存していた。
朝鮮半島との関係が悪化すると、鉄鉱石の安定供給が難しくなったようだ。

神話にも朝鮮半島の重要性が

高天原を追放されたスサノオが朝鮮半島に渡ったとい神話があるが、当時の日本における朝鮮の重要性を神話を物語っている。
神話というモノは必ずしもデタラメな事を言っているわけではなく、読み込んで見ると、要所要所に真実性が残されている。

奈良時代に製鉄が安定

鉄の原料は砂鉄へ

奈良時代ごろから、鉄の原料は比較的豊富な砂鉄へと移行する。

製鉄技術の普及

鉄器の普及によって農業の生産性は飛躍的に向上し、耕地も増えて人々の暮らしは豊かになった。
鉄の鍛冶加工も盛んになり、鉄剣や鉄刀といった鉄製武器も作られるようになる。
そのため、古代日本において鉄はもっとも重要な鉱物資源と位置づけられていた。

製法「たたら」

日本では粘土で作った炉に原料の砂鉄あるいは鉄鉱石と還元のための木炭を入れ、風を送って炉内の温度を上げる「たたら」と呼ばれる製法で鉄を作っていた。

「たたら」の名前の由来

「たたら」という名前の由来については諸説ある。
『古事記』には百済や新羅との交渉の場として「たたら場」「たたら津」といった言葉が出て来ており、朝鮮半島から製鉄技術と同時に伝わった可能性がある。

神話に登場する鉄と剣

『古事記』には、アマテラスを天岩屋から出すという重要な場面で鉄の記述がある。
天の金山の鉄を取って鏡を作ったという。
やはり鉄は重要なモノであったと分る。

三種の神器の一つ天叢雲剣

神話には様々な刀剣が登場するが、なかでも有名なのが三種の神器の一つ天叢雲剣だ。
元々は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに尾の中から出てきたもので、スサノオが「天羽々斬」という剣を用いて大蛇の尾を斬ったときに刃が欠け、天叢雲剣が出てきたと云われている。

剣は権力者の象徴だった

ほかにも、イザナキがカグツチを斬ったときに用いた「天之尾羽張」、神武天皇を救った「布都御魂」など、神話の世界ではいろいろな刀剣が登場する。 発掘された古代刀には丹念な装飾が施されたものが多く、武器というよりも権力者の象徴として用いられることが多かったようだ。

七支刀(国宝)

百済王より献上された剣

『日本書紀』の神功皇后の巻には「神功52年に百済の王が倭に七支刀を献上した」という百済の史料に沿った内容の記事がある。
神功52年は252年で、百済史料では“干支2運=120年”を繰り上げる説があり、修正すれば372年となる。

奈良県石上神宮に実物が伝わる

その七支刀の実物とみられるのが、奈良県の石上神宮が所有する「七支刀」だ。
百済王の世継ぎが倭王にもたらした宝刀で、銘文には369年制作とあり、『日本書紀』の記事と符合する。
石上神宮の七支刀は、身の左右に各3本の枝刃を段違いにつくり出した鉄製の大刀。
全長74.8cmで、刀身の棟には制作年も含め、表裏合むねわせて約60文字の銘文が金象嵌で施されている。
実用的な鉄剣ではなく、祭祀や儀式に用いられたものとみられる。


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