アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler: 1889年4月20日〜1945年4月30日)は第二次世界大戦中のドイツの指導者、首相でもあり国家元首(総統)でもあり、政府から軍部までの、国の全ての権限を握った独裁者であった。
民族至上主義者で、ユダヤ人などに対するジェノサイド「ホロコースト」を起こすが、敗戦直前に自害した。
第二次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人を大量虐殺したヒトラーは、現在も悪の代名詞となっている。
ただし、第一次世界大戦でドイツが敗北したのちに政治家となるまでの彼
のころには厳格な父は死んでおり、学校を中退したヒトラーは16〜18歳までの間、リンツの図書館で読書に耽ったり、趣味の絵画に没頭したりと、気ままな生活を送っている。
その後、彼は1907年にウィーンの美術学校を受験するが、これに失敗。
同じころに母を亡くしたヒトラーは単身ウィーンに出たものの、1913年にミュンヘンに移り住むまでは、街並みを描いた絵を観光客に売るなどして日銭を稼ぐ苦しい毎日で、ときには浮浪宿泊所を利用することもあったようだ。
ヒトラーは自分をどん底に突き落としたウィーンを憎んだ。
1944年に連合軍のウィーン空襲が始まった際には、同地の防空司令部が要請した高射砲の増強を拒否したうえ、「ウィーンは安んじて空爆を受けよ」と答えたという。
結果、ウィーンは焦土と化した。
こうして自らの暗い過去を知る場所を見捨てる一方で、彼は青春時代を気ままに過ごしリンツを偏愛した。
建築家に壮麗な美術館を中心としたリンツの都市計画模型をつくらせ、陥落を間近に控えたベルリンの首相官邸地下壕でも、暇さえあれば眺めていたという。
しかも、いちいち照明の角度を変え、朝・昼夕方でその計画都市がどのような景観になるかまでチェックするという熱中ぶりであったという。
八方ふさがりの状況のなか、彼は人生最良のときの思い出を重ね合わせた“夢の都市”に現実逃避していたのかもしれない。