『記紀』と出雲神話

『日本書紀』に出雲神話は記されず

史書における出雲神話の扱いの違い

出雲神話は『日本書紀』には記されていない。3つの歴史書(日本書紀と古事記と出雲国風土記)で出雲神話の内容は異なっている。
『古事記』ではその内容の1/3が出雲神話のことが記されており、『日本書紀』とは趣が違う。
さらに『出雲国風土記』では『古事記』とも違う内容が記されている。
『日本書紀』は外国向けの日本の正史であるため、天皇家にとってマイナスとなるような歴史は意図的に削除された思われる。
また、『古事記』は天皇家が天皇家にために編纂した史書であったと考えられており、ゆえにマイナスな歴史も残したのかもしれない。

目次

国津神の代表格【大国主神】

天からきた天津神、地上にすまう国津神

皇祖や多くの有力豪族の祖先は、天上世界から地上世界へと降臨した神々であったとされ、このような神々は天津神と呼ばれる。
一方で、天上世界から神々が降臨する以前から地上世界にいた神々は国津神と呼ばれる。
天津神の代表格となる神が天照大御神であり、伊勢の神宮の祭神となっている。
これに対して国津神の代表格といえる神が、出雲大社に祀られる大国主神である。

『古事記』では出雲神話が1/3も

古事記と日本書紀で、出雲神話の扱いが真逆になっている

『古事記』では、この大国主神の神話を中心とする出雲神話が全体の3分の1を占めるなど、その重要性が顕著である。
ところが同時期に編纂され、共通点も多い『日本書紀』には、不思議なことに出雲神話はほとんど記されていない。

オオクニヌシの活躍の多くが『日本書紀』ではカット

『古事記』には、大国主神が兄神たちからの度重なる嫌がらせを受け、命を落としながらも復活し、やがて出雲を平定するエピソードがある。
こうした、大国主神が出雲の統治者となる描写は『日本書紀』には存在しないのだ。

「国づくり」神話も大部分がカット

さらに大国主神は、海の彼方からやってきた神・少彦名命とともに地上世界を開拓して、豊かな国にするといった国づくりのエピソードが『古事記』では多く記されているが、『日本書紀』にはこの「国づくり」の大部分が載っていない。

『出雲国風土記』〜出雲の正史ともいえる歴史書

『風土記』〜地方ごとにまとめられた地誌

出雲にまつわる神話は、記紀よりも少しあとに編纂された『出雲国風土記』にも記されている。
『風土記』とは地方ごとにまとめられた地誌である。

「国譲り」は『出雲国風土記』には載っていない

この『出雲国風土記』には、出雲の土地の成り立ちなどさまざまな神話が記されているが、『古事記』で語られている「国譲り」の神話は載っていない。
これは『古事記』を編纂した時の政権が政治的な意図から歴史を改竄した可能性が指摘される。

『古事記』の国譲り神話〜社をかわりに国をすべて譲る

大国主神は、地上世界を開拓し豊かな国にする。
やがて天照大御神が地上世界の統治に乗り出し、武神を派遣して大国主神に地上世界を譲るように迫った。
これに対して、大国主神は自らが鎮まる壮大な神殿をつくることを交換条件として、国譲りに同意した。この神殿が出雲大社の起源とされる。
これが『古事記』に見られる国譲り神話である。

『出雲国風土記』では出雲の支配権は譲渡されず

ところが、『出雲国風土記』では、大国主神は自発的に自分の国を天孫に譲ろうといっている一方で、「出雲だけは私が支配する国として守ることにする」として出雲全土に支配領域が維持される話となっている。
この『出雲国風土記』と『古事記』の内容の食い違いは、そのまま大和と出雲の主張の食い違いといえ、話に齟齬があったのだろう。

編纂意図が異なる3つの歴史書

歴史書は、編纂者により恣意的に記される

ほぼ同時期に編纂された『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』で、なぜ出雲神話への扱いが異なっているのか。
そもそも日本の神話は地方ごとに特色ある神話があり、多くのバリエーションがある。
いずれの書物においても、伝承されてきた神話を体系的にまとめたものであり、編纂意図によって、どの神話を載せるか、どのような捉え方をするかは、異なっているのである。

『日本書紀』は外国(中国)の目を意識した日本の正史

『古事記』はそれ以前に存在した書物を稗田阿礼という記憶力に優れた人物に学ばせ、のちに太安万侶が、稗田阿礼が口誦する内容を編纂した。
一方、『日本書紀』は「日本」という国名を冠しているように、中国を意識した公式な歴史書である。
『日本書紀』は正統的な漢文で記述されており、中国における「天」の思想(統治権は天から授けられるとされる考え)や「陰陽」の思想(この世界の万物は陰と陽の2つの側面を併せ持つとする考え)が反映されている。
『日本書紀』においては、神代を除いて中国の暦年が記されていることからも、中国などの周辺国を意識していることがわかる。

『風土記』は朝廷の命で編まれた地方の史書

『風土記』は『日本書紀』と同様に漢文で記されており、律令国家を形成するにあたって、地方の正確な情報を把握するために編纂された。
編纂にあたったのは、朝廷から任命された国造である。
国造は在地の権力者が選ばれることが多かった。
当然のことながら、出雲側からすれば、出雲の神の力がより大きなものだったと捉える傾向になる。

『古事記』は天皇家のプライベート史書

天皇家にとって負の歴史も記される

『古事記』は正史ではなく、あくまで天皇家のプライベートな歴史書としての位置付けとなっている。 ここで疑問なのが、天皇家の歴史を記している『古事記』が、出雲にいた偉大な神が国を開拓した事実や、出雲をはじめとする他地域を、武力を背景に制圧して支配した物語を記したことだ。

天皇家以外の者が読むことを前提とせず

『古事記』は天皇家の私的な文書のため、基本的に天皇家以外の人が読むことをそれほど対象としていない。
そのため、自らに不都合な歴史的事実もありのままに記し、支配者が必ずしも善としない過去を忘れないために、出雲神話を事細かく記した可能性もあるだろう。


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