亀の前事件

亀の前騒動、頼朝の不倫事件

目次

亀の前事件とは、源頼朝源平争乱の最中に起こした不倫騒動。妻・北条政子に隠れて愛妾の亀の前という女性と通じていた事が発覚。政子は亀の前の隠れ家を破壊する。頼朝も反攻したが、義父・北条時政も頼朝に反発。最終的には頼朝が折れる事で事件は終息した。

源平争乱の最中に頼朝が浮名を流す

頼朝は女性癖が悪かったとされる

女性によくモテたとされる頼朝は、政子と結婚してからも他の女性と浮名を流している。
しかも、源平争乱が行われている最中の話で、さらに妻の妊娠中の不倫(あくまで現代的な視点での話ではあるが)というから穏やかではない。

亀の前事件の顛末

政子に隠れて不倫するもバレてしまう

頼朝の愛妾に亀の前という女性がいた。頼朝は妻に不倫がバレるのを恐れて彼女を家来の屋敷に移し、そこで逢瀬を続けていた。
しかし、そんな工作もむなしく頼朝の不倫は継母の牧の方(時政の後妻)を通じて政子の耳に入ってしまう。

政子が隠家を破壊、頼朝も怒り反撃

激怒した政子は、牧の方の兄である宗親(父ともされる)に命じて家来の屋敷を破壊させた。
これを知らされた頼朝も激怒して、宗親を呼び出して衆人環視の中で罵倒。宗親はひたすら平伏して謝罪したが頼朝の怒りは収まらず、宗親の髷を切って恥辱を与えた。

その後も頼朝は関係を続けたが…

その後、亀の前は再び頼朝の寵愛を受けたが、彼女を匿っていた家来は政子の怒りを買って遠江に流されてしまったという。

頼朝の仕打に義父・時政も激怒

そして、北条時政も同様に怒っていた。
騒動から4日後、時政は頼朝に挨拶もせず地元の伊豆へ帰ってしまった。出仕拒否、つまりストライキである。
ただし、政子の父親として義理の息子である頼朝の不倫に怒ったのではなく、自身の妻である牧の方の兄(時政にとっては義兄)の宗親を辱めた頼朝の仕打ちに腹を立てたのが原因であった。

頼朝と時政は関係を修復した(が詳細は不明)

『吾妻鏡』に欠落部分があってこの頃の事績が不明なこともあり、亀の前騒動からしばらくの間、時政の行動はほとんど知ることができなくなってしまう。
時政はその後も頼朝に仕えているので、この事件をきっかけに両者の関係に決定的な亀裂が入ったというわけではないだろうが、どうやって頼朝と時政が関係を修復したのかは不明である。

北条義時は頼朝側に付いた

後に、鎌倉幕府の二代執権となり頼朝を支えた北条義時であるが、義時はどうしたかというと、父と行動を共にせず鎌倉に残ったという。
時政の帰国に慌てた頼朝は「義時は穏便な奴だから、父親の軽挙に従わずに残っているはずだ」と言い、梶原景時の子・景季に命じて確認に行かせた。
義時が鎌倉の屋敷にいると景季から報告を受けた頼朝は感激して、義時を呼び出して「お前は私の子孫を守ってくれる者に違いない。後で恩賞を与えよう」とまで言ったという。

頼朝は義時が「自身の子孫を守ってくれる」と期待していたが、残念ながらその期待は裏切られる。頼朝の子の頼家は北条家によって亡き者とされ、さらにその子(頼朝の孫)の一幡まで手にかけてしまった。義時は頼朝が自分にかけてくれた言葉をどう感じていたのだろうか。

亀の前、柔和な美女だったという

政子と正反対の性格ゆえに頼朝に好まれたか

『吾妻鏡』の記述によれば、亀の前は頼朝が伊豆で流人暮らしをしてい頃に仕えていた女性で、頼朝に気に入られて鎌倉に呼び寄せられた。柔和な美女で、気の強い政子とは正反対の性格だったという。不倫をする男性は妻とは違うタイプの女性を選ぶ人が多いと言われているようだが、頼朝も例外ではなかったようだ。


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