織田信長(1534〜1582年)は尾張守護代の家臣の家の出身で、1560年の「桶狭間の戦い」で今川義元を破り名声を挙げた。
さらに美濃国・近江国を平定し大きく飛躍した信長は上洛を果たした。抵抗する勢力を次々に滅ぼし、全国の平定に乗り出すが、1582年6月に「本能寺の変」で明智光秀に討たれてしまった。
豊臣秀吉(1537〜1598年)は安土桃山時代・戦国時代の武将である。農民の生まれでありながら織田信長に仕え、戦を通じて頭角を現しながら関白にまで上り詰めた。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた後、秀吉は迅速に上方に戻り、明智光秀を討ち滅ぼした。
明智光秀は信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変という謀反を起こして主君を自害させた。
しかし、同じく織田家臣であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗北してしまう。
敗走する中、あっさりと殺害されてしまった。
享年55歳、67歳とも言われる。
石田三成(1560〜1600年)は安土桃山時代、近江出身の戦国武将である。三成は若くして豊臣秀吉に見出されて以降、常に「太閤殿の股肱の臣」といわれた。三成の本領は武功よりも、事務的な役割を果たす文治派であった。