古代アンデス文明

古代アンデス文明

古代アンデス文明

文明の起源

インカ帝国の崩壊とともに終焉した古代アンデス文明。
3500年に及ぶその歴史には、驚くべき技術や、いまだ解明されていない謎が多い。

氷河期、人類がアメリカ大陸へ

北米大陸に人類が足を踏み入れたのは、今から2万〜3万年前とされる。
氷河期の間、特に寒冷な時期には、海面が下降してベーリング海峡は陸地であった。
こうして初めて、ユーラシア大陸から北米大陸への道が開いたのである。

一万年以上前に、人類が南アメリカ大陸へ

以後、人類はゆっくりと南下していった。
南米の南端、ティエラ・デル・フエゴで、紀元前9000年頃の遺跡が見つかっている。
紀元前1万2000年頃には、人類が南米に達していたのは確実視されており、彼らはシカやワナコ(アルパカやリャマの祖先)を狩っていたいたといわれる。
彼らが狩猟から、定住農耕生活に移ったのは、紀元前5000年頃と推定されている。

様々な文化や国家が繁栄

ナスカの地上絵やインカ帝国を生んだ古代アンデス文明。
現在、発見されている最古の遺跡は、東京大学が発掘調査した紀元前2000年頃(約4000年前)のコトシュ遺跡だ。
それ以前の遺跡は、まだ発見されていない。

独特の儀式と神殿

コトシュでは、「交差した手の神殿」と呼ばれる石積みの遺構の中央には炉床(ろしょう)があり、火を燃やす儀礼が行われていたらしい。
他にも同種の遺跡が見つかっており、神殿を中心に村落が結合したものだと考えられている。

古代アンデス文明5つの時代

アンデスの文明は神様と共に誕生した。
アンデスで栄えた諸文化は、時期とその特徴に応じて5つに分類される。

  1. 草創期〜チャビン様式の時代(紀元前2000年〜紀元前後)
  2. 地方文化の発展時代(紀元前後〜紀元600年頃)
  3. ワリ帝国が統一した時代(紀元600〜900年頃)
  4. チムー王国、クスコ王国などの地方国家時代(紀元900〜1500年頃)
  5. インカ帝国の時代(紀元1476〜1534年)

これらの文化は特有の装飾様式や冶金、石積みなどの独自の技術で特徴づけられる。
しかし、重要なのは独自の神様を祭る神殿と儀式を持っていた事であろう。

時代と供に、様々な神が訪れる

コトシュの神様がどのようなものだったかは分からない。
その後、次に登場する神様はジャガー神だった。※ジャガーとは、北アメリカ大陸南部、南アメリカ大陸に分布するネコ科ヒョウ属に分類される肉食動物
紀元前1800年頃の北部海岸のクピスニケ文化の神殿には、ジャガーの文様が描かれている。
このジャガー信仰はアンデス一帯に広がり、チャビン・デ・ワンタルの大神殿に結実した。
しかし、紀元前500年頃から、このような神殿は放棄され、ネコ科の動物に対する信仰は薄れていく。

以後、1000年間はナスカをはじめ諸地方の神々が栄える。
ワリの神々が誕生し、強大な帝国となり、再び衰えて、地方国家の時期に入るのだ。

文明の滅亡

モチェの後に生まれたシカンは、生死を司る全能の神を奉じた。
シカンを征服したチムーもまた独自の神を祭っている。
インカの制服が始まる15世紀まで、アンデスには90もの部族や王国があったという。
15世紀には太陽神を奉じるインカ帝国が誕生する。
コトシュ以後3500年に渡るアンデス諸文化の滅亡は、神々の滅亡でもあったのだ。

2000年前に脳外科手術?

2000年前からインカ時代までの遺跡からは、孔をあけた頭蓋骨が多数発見されている。
頭蓋骨の頭蓋穿孔の周囲は、組織が再生しており、術後も5〜10年程生存していた事が推測される。
>> 古代アンデスの脳外科手術

アンデス文明には文字がなかった?

古代アンデス文明には文字がなかったという。
インカ帝国などの巨大な国家を維持する為には、権力者たちが、情報を正確に処理・伝達する技術が必要だ。
古代アンデスの人々は、一体どうやって、離れた場所から連絡を取り合っていたのだろうか。
>> 古代アンデスと文字

アンデス文明の技術

アンデス文明は、文字や車輪など、普通の文明で見られる技術を持たなかった。
しかし、黄金を作り出す技術や、石造建築技術など、驚異といえる技術を持っていた。
>> アンデス文明の技術


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