詠み人知らず

詠み人知らず

『万葉集』の半分は作者不明

『万葉集』に収録された約4500首のうち、約1800〜2300首が“詠み人知らず”の歌であった。
歌集の半分が「誰がいつ何処で詠んだのかが判っていない」ところが『万葉集』の特徴でもあった。

どんな時“詠み人知らず”になったのか

本当に歌人が判らない場合

実際に“詠み人知らず”が使われていたパターンだが、これは本当に判らない場合が多くあった。
民の間で永く歌い継がれていた歌は、そもそも作者に相当する人物がいなかったからだ。(現代で言えば桃太郎や浦島太郎も“詠み人知らず”となる)

意図的に隠される場合

他に、身分は高いが、事件などに関与して名を出す事が憚られる場合もあった。
一番多く見られたのが「歌の出来が良いが、歌人の身分が低すぎた」という場合であった。
敢えて名前を出したくない場合、というのが意外に多かった。

“詠み人知らず”中心の万葉集の巻

『万葉集』には“詠み人知らず”の歌を中心に構成した巻があった。主に巻7〜14だ。
巻7と10は『万葉集』の成立前に存在していた歌集『柿本人麻呂歌集』と『古歌集』からの歌が多く選ばれており、巻7は雑歌(ぞうか)・譬喩歌(ひゆか)・挽歌(ばんか)の三部位、巻10は四季分類となっている。

恋にまつわる歌が多い巻

巻11と巻12は『古今相聞往来歌類』の上下セットであった。
畿内を中心とした地域の民謡を集めたもので、古い風俗が歌われている。
相聞類を分類した巻なので恋にまつわるモノが多く<眉根掻き>や<しろたへの>の歌から、当時の恋人たちの習慣を知る事が出来る。
くしゃみや痒みなどを恋人と会える前兆と捉えるのは当時からであった事が分る。

古今相聞往来歌類より(巻11〜12)
「眉根掻き 鼻ひ紐解け 鼻ひ紐解け 待つらむか いつかも見むと思へる我を」(巻11・2408)
「しろたへの 我が紐の緒のえぬ間に 恋結びせむ 逢はむ日までに」(巻12・2854)

巻13と巻14は、出典不明歌を国別に分けたもので、巻13は近畿中心、巻14は『万葉集』の特徴の一つの東歌がまとめられている。

“詠み人知らず”なのか?が判らない場合もある

歌人が“詠み人知らず”なのか、もしくは、誰なのか判っているのかは、どの底本を使ったかによって研究内容も変わって来る。
巻7の<黒牛の>(1218)から<麻衣>(1195)までは“詠み人知らず”とする場合もあるが、左注に「右の七首は藤原卿が作。未だ年月審らかにあらず」とするモノも多い(西本願寺本)。
この藤原卿というのが誰を指しているのか、江戸時代の国学者・契沖は藤原房前・説を唱え、万葉学者・伊藤博は藤原不比等とした。

東歌は“詠み人知らず”が多い

文学のない人々の歌を官人が遺した

東歌はほとんどの歌が“詠み人知らず”であった。
東歌は、東国の文学のない人々の間で歌われていた民謡を中央の官人が記したものである。
恋の歌や労働の歌が多く、都から来た人が無記名で作った歌も交じっており、成立年代の特定が難しい。

東歌
「玉川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき」(巻14・3373)
「葛飾の 真間の手児奈を まことかも われに寄すとふ 真間の手児奈を」(巻14・3384)
「稲搗けば かかる我が手を 今夜もか 殿の若子が 取りて嘆かむ」(巻14・3459)

“防人の歌”も東歌

『万葉集』独特の歌といえば防人の歌がある。(防人とは対馬や壱岐、北九州沿岸部の警備にあたっていた兵のこと)
当初は防人には九州に近い西国の兵を送っていたが、大宝年間には東国でのみ徴兵されていった。
故に“防人の歌”も東歌と同様に東国の歌であり、また、東国の方言的な特徴が現れている。
『万葉集』には防人の歌が約100首収録されているが、編者の大伴家持は、東国から九州まで送られる防人たちを不憫に想って、敢えて収録したのかも知れない。

防人の歌
「我が妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて よに忘られず」(巻20・4322)
「韓衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして」(巻20・4401)

漂流していた歌人

厳しい税で土地を捨てた“詠み人知らず”も

『万葉集』の特徴に、幅広い社会階層の中から歌が選ばれている事が上げられるが、巻16に「乞食者の詠二首」という珍しい歌がある。
「乞食者」とは、祝い事を述べる報酬として食べ物を得ていた漂泊(漂流)の芸能の民だったと考えられている。
当時の日本は律令体制が確立した事で厳しい税が取られるようになった初めの時代で、故に、漂泊する者が多く出ていた。

“詠み人知らず”は社会の裏側を投影していた

一言に“詠み人知らず”といっても、色んな身分の人々がいたという事。
“詠み人知らず”の人々を見ると、歴史書には残されなかった当時の社会の裏側を垣間見る事が出来る。
現代でいう政権批判としての側面もあったようだ。


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