渡来人が信仰したスサノオ

渡来人がスサノオを信仰した理由

スサノオは朝鮮半島にも降臨していた

なぜ渡来人は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀ったのか。『日本書紀』の異伝によれば素戔嗚尊は日本より先に新羅国の曽尸茂梨に降臨したというが、八坂郷に祀ったのも高麗からの渡来人である伊利之だった。素戔嗚尊は朝鮮半島にも所縁ある神だといえる。 なお、素戔嗚尊と八坂神社(八坂郷)の祭神・牛頭天王は神仏習合において同一視されている。

目次

スサノオと妻子を祀る八坂神社

氷川神社と同じ祭神だが、性格が異なる

八坂神社(やさかじんじゃ)は、三貴子の1柱である素戔嗚尊(スサノオノミコト)を主祭神として、妻や子神も祀っている。 氷川神社と同じ祭神ではあるが、八坂神社の素戔嗚尊の性格は大きく異なる。

以前は祇園社と呼ばれ、牛頭天王と妻子を祀った

八坂神社の社名に変更されたのは、明治時代の神仏分離令後のことで、それ以前は祇園社と呼ばれ、牛頭天王とその妻子が祀られていた。

牛頭天王〜神仏習合の神

祇園精舎の神だが日本でしか信仰されず

牛頭天王を描いた絵や像では、頭の上に牛の頭が載っている。
牛頭天王は祇園精舎(釈迦によって開かれた道場)の守護神とされるが、インドや中国、朝鮮半島で信仰された形跡はなく、日本独自の神である。
牛頭天王の起源についてはさまざまな説があり、よくわかっていないが、祇園精舎の守護神ということで、神仏習合の性格が強い神であることは間違いない。

2説ある八坂神社の創始

素戔嗚尊と牛頭天王が同一視

八坂神社の社伝では、創建について2つの説がある。
1つは、7世紀に高麗から渡来した伊利之(いしり)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊をこの地に祀ったことによる。
もう1つは9世紀に僧・円如がこの地に現れた天神を薬師堂に祀ったとするものである。
この素戔嗚尊と天神は牛頭天王と同一視されている。

渡来人も日本の神を篤く信仰していた

渡来人が日本古来の信仰である神社を創建することは、不思議に感じられるかもしれない。しかし、日本には多くの渡来人が移り住み、朝廷に協力したり、地方の開拓を行ったりと日本の歴史で大きな役割を担った。

高麗渡来人・伊利之が八坂氏の祖か

弘仁6年(815)に完成した『新撰姓氏録』には、1182の氏族の由来や系譜が記されているが、このうち渡来系氏族の数は326で、約3分の1を占めている。
八坂神社がある八坂郷を本拠地とした八坂氏も渡来系氏族で、その祖は「狛国人(高麗国人)」の「之留川麻乃意利佐」とある。
この意利佐が伊利之と同一人物ならば、伊利之が八坂氏の祖ということになる。

朝鮮半島に降臨したスサノオ

『日本書紀』に記される朝鮮とスサノオの神話

なぜ渡来人が日本の神である素戔嗚尊を氏神(氏族の守護神)としたのか。
記紀では、素戔嗚尊のさまざまな側面が描かれているが、『日本書紀』には素戔嗚尊が朝鮮半島に降臨した物語が記されている。

日本より先に新羅国ソシモリに降り立ったスサノオ

『日本書紀』本文では、『古事記』と同様に天上世界を追放された嗚尊が出雲の地に降り立ち、八岐大蛇を退治する。
一方でこの物語については『日本書紀』に5つの異伝が記されている。
そのうちの一書(あるふみ)第4では、天上世界を追放された素戔嗚尊が、息子の五十猛命(いたけるのみこと)とともに朝鮮半島にあった新羅国の曽尸茂梨(ソシモリ)というところに降臨した。
ところがこの地を気に入らなかった素戔嗚尊は土船をつくって出雲に渡り、出雲の地を荒らす八岐大蛇を退治したとある。

朝鮮半島に降り立った神ゆえ、渡来人らも信仰したか

五十猛命は天上世界の樹木の種を持っていたが、新羅の地には植えず、すべて日本の大地に植えたので、日本の国土は青々と繁った山々を持つようになったとされる。
素戔嗚尊は、まず新羅国に降り立ち、その後、日本にやってきたことになる。

何処から来たのか、謎多き牛頭天王

牛頭天王は本来は【外来の神】という位置づけ

牛頭天王は日本独自の神である一方で、祇園精舎の守護神とされることから外来の神という位置付けである。

スサノオは牛頭天王という習合、全くの無根拠でもない?

牛頭天王のお神札には、「牛頭天王ト申スハ素戔嗚尊ナリ」と記されている。
素戔嗚尊=牛頭天王という形の習合がどこにはじまるのかは不明だが、素戔嗚尊が降り立ったソシモリを韓国語に当てると、「ソ」は「牛」、「モリ」は「頭」を意味するともいわれる(「シ」は不明)。
ただし、古代の韓国語は現在とは異なるために、「牛頭」の意味にはならないという指摘もある。

朝鮮半島の地名と奇妙に一致する八坂神社の社伝

また八坂神社の社伝では、素戔嗚尊は牛頭山に降臨したとされるが、韓国のソウルの東北東には「牛頭山」という墳丘が存在している。

さまざまな性格をもつスサノオ

記紀で描かれる素戔嗚尊は、さまざまな性格を持つ。
こうした素戔嗚尊の多面性から、渡来人たちが祀っていた神もまた素戔嗚尊の1面として集約された可能性が考えられる。


↑ページTOPへ