ヒルコは日本神話の国生みに登場する神で、イザナキとイザナミとの間に生まれた最初の子である。「良くない子だった」との理由から葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまった。ヒルコが流された理由は諸説ある。また、後に日本各地に漂着し、福をもたらすエビス神になったともされる。表記は水蛭子、蛭子神、蛭子命、蛭児とも記される。
イザナギとイザナミとによる国生みの際、最初から順調に行われたわけではなく、むしろその逆であった。
具体的にいうと、両神による国生みが試みられたとき、最初にいわば失敗作ともいうべき、国生みの数から除外された存在が誕生しているのである。
『古事記』をみると、イザナギとイザナミとが国生みを行ったとき、まず、女神であるイザナミから声をかけたという。そこで、イザナギが女神から声をかけるのは良くないと言うが、結局、国生みを行う。
その結果、生まれたのがヒルコ(水蛭子)であるが、この子は葦船に入れて流してしまう。
次に淡島を生むが、この子も国生みの数には入れられなかった。
ここから、ヒルコも淡島もともに国生みの数に入れられない失敗例とされている。
なぜ国生みがうまくいかなかったのかという理由については諸説あるが、一般的には、『古事記』の中でイザナギが発した、「女神から先に声をかけるのは良くない」という言葉にある。
つまり女性は慎ましく静かに男性に従うものである、という儒教道徳が影響しているといわれている。
それでは、この国生みの場面は『日本書紀』ではどのように叙述されているのかというと、この部分は第4段に相当するが、本文にはヒルコの記載をみることができない。
第4段には本文の他に10の「一書(別伝承)」がみられるが、第1の一書には、はじめに「蛭児」を生んだが葦船に乗せて流し、次に生んだ「淡洲」も数に入れないとあって、『古事記』に似た内容になっている。
第1の一書を除くと第10の一書に簡潔な記述がみられる。
これによると、陰神(めがみ)、すなわちイザナミが陽神(おがみ)のイザナギに声をかけ、手を握って「為夫婦」をし「淡路洲を生む。次に蛭児」とあるだけである。
失敗例とされるヒルコであるが、どこが問題なのかというと、『日本書紀』の第5段の本文に、イザナギとイザナミが日神と月神を生んだことがみえ、その後「蛭児」を生んだとある。
それに続けて、3歳になるまで立つことができなかったため、天磐ク樟船(アメノイワクスフネ)に乗せて棄ててしまったとある。
ヒルコは国生みの際の失敗例として登場していることは明白であるが、その実体はよくわからないのが実状だ。
そもそも、ヒルコという呼称・字義から謎の要素が強い。
『古事記』では「水蛭子」、『日本書紀』では「蛭児」という表記が用いられ、前述したように立つことができないと記されている。
ヒルコついては、四肢が不自由であった幼児の存在を想起する人は多い。
現代と比べ医療技術が未発達な古代社会においては出産の難しさ、特に初産の大変さは想像を絶するものがあっただろう。
また、誕生した不自由な子供に対する認識も現代社会とは大きく異なっていたと考えられる。
未熟児や流産した幼児を放棄するといった風俗や習慣が古代社会にあったのだろう。
これらの要因を含め、ヒルコの背景に、医療の未発達を考えることができる。
これらの表記は仮借表記であり、本来は違う表記であったとする説も根強い。
たとえば、江戸時代に早くも滝沢馬琴は、『玄同放言』の中で水蛭子は「日子」であるとして、北極星のことであるとしている。
他に、「日子」とか「昼子」ととらえ、比古(彦)のことだとして、日女(ヒメ)・昼女(ヒルメ)に対応するものであるとする説もある。
また、ヒルコ・ヒルメから、太陽神と関係づける説もある。(アマテラスの別名にも「ヒルメ」「オオヒルメノムチ」というものがある)
水蛭子(ヒルコ)を日子(ヒコ)としてとらえ、ヒルメ(アマテラス)と関係づけてとらえる説は想像が膨らむ。
この説に立つと水蛭子が葦船などによって棄てられてしまうことも説明できるという。
ヒルコ(男性)とヒルメ(女性)とを対照的にとらえるとすると、男性は棄てられる存在ということになる。
したがって、ヒルコとヒルメのいずれが太陽神としてより相応しいとするとき、女性、すなわちヒルメの方がよりしいということを物語っているという。
このことは、太陽神(皇祖神)がタカミムスビからアマテラス、すなわち、男神から女神へ転換されるという日本神話の構造の面からも説得力があるようにも思われる。
しかし、一方では、太陽に関する字句である「日」が水蛭子に用いられておらず、「蛭」に統一されている点も無視できない。