天岩戸と天照を支えた神々

天岩戸〜アマテラスが隠れた神話

隠れた太陽神を他の神々が支えて光を取り戻す

政治臭が強く、藤原氏(中臣氏)の氏神まで出てくる

天岩戸神話とは、日本神話(古事記&日本書紀)に描かれる物語。アマテラスが弟スサノオの狼藉に恐れをなし天岩戸に姿を隠してしまった。世界は暗闇に包まれたが、天照を支える神々によって天照は救出され、世界が光を取り戻した。という神話である。
のちの藤原氏(中臣氏)の氏神まで登場するこの物語は、政治的な脚色がなされた可能性がうかがえる。

史書によって表記に違いがある

「天岩戸」の表記に関しては史書によって違いがあり、「天戸(あめと、あまと)」、「天岩屋(あめのいわや)」、「天岩屋戸(あめのいはやと、あまのいわやと)」とも記される。また、「岩」は「磐」あるいは「石」とも記される。

天岩戸神話で活躍した神々

アマテラスを支えた神々の一覧

天岩戸で活躍した神々の一覧。『古事記』での表記と、()内の神名は『日本書紀』の表記。
ここで活躍した神々は後々のヤマト政権に所縁のある神様が多く、これは、『記紀』が編纂される際に、政権中枢の豪族たちの意向が反映されたのかも知れない。

天児屋命(天児屋命)
中臣(藤原)氏の祖。フトダマとともに占いを行い、石屋戸の前で祝詞を奏上した。アマテラスが石屋戸を少し開くと、すかさずフトタマとともに鏡を差し出した。のちの天孫降臨の際にはニニギに随伴し地上に降る。
布刀玉命(太玉命)
忌部(斎部)氏の祖。オモイカネの策を占うために、アメノコヤとともに太占(占いの一種)を行った。八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香久山の五百箇真賢木を捧げ持った。天照の背後に尻久米縄を張り渡し、戻れないようにした。のち天孫降臨に随伴した。
天手力男神(天手力雄神)
思兼命の子供で阿智祝の遠祖(『斎部氏家牒』)。石屋戸の脇に控え、顔を出したアマテラスの手を取って引き出した。のちの天孫降臨では、三種の神器に副えて地上に降る。
思金神(思兼命)
信乃阿智祝部・知々夫国造の祖(『先代旧事本紀』)。天の安河の川原に集まった会議で、アマテラスを石屋戸から出すための策を立案。のちの国譲りでは、葦原中国に派遣する神の選定を行い、天孫降臨に際しては、ニニギに随伴して地上に降った。
天之宇受売命(天鈿女命)
猿女君の祖。うつぶせにした槽(特殊な桶)の上に乗り、神懸りになったように踊り、八百万の神々の笑いを誘った。のちに天孫降臨の際にはニニギに従う、五伴緒の一人として地上に降った。
伊斯許理度売命(石凝姥〈神・命〉)
作鏡連らの祖。姿は描かれていないが、鍛冶師のアマツマラと天の香山の五百箇真賢木にかける鏡を作った。のち天孫降臨に随伴する。
玉祖命
玉造部の祖。姿は描かれていないが、八尺瓊勾玉を作った。八尺瓊勾玉を掛けた天の香山の五百箇真賢木を御幣として奉げもった。
八百万の神々
天の安河の川原に集まって会議を開き、オモイカネの発案で、石屋戸前で宴会を開くことにし、神々はどんちゃん騒ぎを繰り広げる。

天岩戸神話のあらまし

神々が協力して、天照と光を戻す

古事記&日本書紀とも、スサノオが追放される結末を迎える

アマテラスは、アメノイハヤト(『古事記』天石屋戸、『日本書紀』天石窟戸)に籠り、天地が暗闇になる。『古事記』『日本書紀』ともに神々がアマテラスを呼び出し、スサノオが追放される展開で一致するが、微妙な違いがある。

古事記の「天石屋戸」の流れ

アメノウズメの舞によって神々が大笑い

天安河原に集まった八百万の神々は、タカミムスビ(高御産霊神)の子・オモイカネ(思金神)に考えさせた。
オモイカネが考えるには、常世の長鳴鳥を集めて鳴かし、天の金山の鉄を取って鏡を作らせ、アメノコヤ(天児屋命)とフトダマ(布刀玉命)に天香久山の真男鹿の肩骨抜かせて焼き占う。
天香久山の榊を根こそぎ取り、上の枝に八尺瓊勾玉を数多く貫いた玉飾りをかけ、中の枝に八咫鏡をかけ、下の枝に白い幣と青い幣をかける。
フトダマに御幣を取らせてアメノコヤに祝詞を読ませ、アメノタヂカラオ(天手力男命)を戸の脇に隠す。
そこに天香久山の日陰蔓と真析蔓をたすきにかけ、天香久山の小竹の葉を持ったアメノウズメ(天宇受売命)が戸の前に桶を伏して踏み鳴らし、上半身と下半身を露出させた。
すると神々はどっと笑った。

気になった天照、少し戸を開けて様子を聞いてくる

外の様子を怪訝に思ったアマテラスは、戸を少し開けてアメノウズメに問うと、アメノウズメは、「あなた様より尊い神が来られるので皆喜んでいます」と言い、アメノコヤとフトダマが鏡を差し出した。

天照を無事に救出し、スサノオを追放

いよいよ不思議に思ったアマテラスが鏡に映った姿を覗き見ると、脇からアメノタヂカラオがアマテラスを引っ張り出した。
フトダマが戸に注連縄を巻き、「これから内にお戻りになることは叶いません」と申し上げると、天も地も明るさを取り戻した。
神々はスサノオに多くの祓物を負わせ、髪と爪を切って高天原から追放した。

以上が『古事記』における天石屋戸神話である。

皆既日食がもとになった神話、世界的にはよくあるパターン

太陽神が隠れたことで世界が暗闇になり、その後再び明るさを取り戻すという構図は、古くから皆既日食が神話化した物語であるという指摘がされている。
また、スサノオの乱行に負けたアマテラスが一度死に、やがて復活する「死と再生」というパターンは、世界の神話のなかでは比較的よくあるパターンである。 恐らく、天照を支えた神々に関しては、人為的(政治的)に改変が成されていると思われる。

アメノウズメの舞が神楽の起源(とされる)

アメノウズメの子孫は、後に宮廷儀礼である鎮魂祭における神楽を司る猿女君氏となり、神話と同様に桶を踏む動作を行っている。
後に天石屋戸の神話は、神楽の起源譚として親しまれ、やがて岩戸神楽も作られていく。

日本書紀の「天石窟戸」

大筋は同じ話だが、活躍する神がより政治的に露出

次に『日本書紀』における「天石窟戸」をみてみる。
基本的な流れは同じであるが、『古事記』で長々と書かれた、オモイカネが発案した神々の役割は省略され、アメノコヤ(天児屋命)とフトダマ(太玉命)、アメノウズメ(天鈿女命)の三神に焦点が当てられる。
それぞれアメノコヤは中臣連遠祖フトダマは忌部遠祖アメノウズメは猿女君遠祖という、後の神祇官人の先祖神であることが明記される。
『古事記』では、アメノコヤが祝詞、フトダマは御幣取という役割分担されていたが、『日本書紀』では「相与致其祈祷」と共に祈祷し、中臣神、忌部神という表記もされる。

中臣(藤原)の氏神の活躍が目立つ

アメノウズメも神々の前で身体を露わにして乱舞するものではなく「顕神明之憑談(神霊が人に乗り移った神がかり)」という状態になる。
そこでアマテラスが「世界が暗闇になったのに、どうしてアメノウズメは楽しそうなのか」と問い、戸を開けたところ、タヂカラオ(手力男神)がアマテラスを引っ張り出し、中臣神と忌部神が磐戸に注連縄を巻き、中に帰らせないようにした。
やがてスサノオは追放される。

古事記の方が神話としては自然

日本書紀は中臣(藤原)アゲが露骨な内容

両書の違いを見ると、オモイカネが深慮をめぐらす点は同じだが、『古事記』がオモイカネをタカミムスビの子と書くことに対し、『日本書紀』にはそれがなく、活躍するのは中臣、忌部、猿女の神祇官に仕える氏族の始祖である。

造化の三神(一番最初の神々)を重んじる古事記

『古事記』では、冒頭にアメノミナカヌシ(天御中主神)とタカミムスビ(高御産霊神)、カムムスビ(神御産霊神)が登場し(造化の三神)、物語の要所でムスビの神々が重要な役割を果たしている。
霊力を産み出すムスビの力が、『古事記』の世界観を形づくっていることが明らかにされており、アマテラスが隠れるという事態にムスビの神の子が活躍する展開を読み取ることができる。

日本書紀は「国家の正史」ゆえに政治的な内容になる

対して『日本書紀』は、律令国家日本の起源神話である。
神々を祭祀する神祇官人たちの先祖神を活躍させる必要があったのだろう。
そもそも『記紀』の編纂には藤原氏も関わっており、自分達(藤原氏)にとって都合が良いように歴史を手を加えたと疑うべきである。


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