天照とスサノオの対立

天照とスサノオの対立〜高天原

姉弟神の争いの果て、天照が天岩戸に隠れる

姉弟の対決は一旦は弟が勝利することに

アマテラススサノオ、姉弟神が高天原で対立する。
スサノオは父イザナギ(母イザナギ)から問題児とみなされ追放されてしまう。
スサノオは姉のアマテラスに会う為に高天原を訪問するが、姉は弟の邪心を疑う。そこで弟は姉の疑いを晴らすために呪い勝負を持ち掛け、自身の潔白を立証する。
しかし、アマテラスはその呪いの結果を認めようとせず、腹をたてたスサノオは、仕返しに姉に乱行を働く。
良田を荒す、神殿を汚す、馬の川皮を剥いで機殿に投げ込むなどの腹いせに耐え切れなくなったアマテラスは天岩戸に籠ってしまう。

古事記と日本書紀で話が少し違う(大筋は同じ)

なお、この姉弟神の争いの物語も『古事記』と『日本書紀』の両者で微妙に展開が異なっている。

スサノオが親元を追放される

亡き母に会いたいと悲しむスサノオ(古事記)

高天原でアマテラスとスサノオが対立する物語は、『古事記』『日本書紀』ともに共通する。
『古事記』でスサノオは、イザナギから「海原」の統治を任される。
ところが、いつになっても泣き通すスサノオは、父のイザナギに「姚(母)が国の根之堅州国」に行きたいと言う。
怒ったイザナギに「お前はこの国に住んではならない」と言われ、追放される。
なお、『古事記』において、イザナミは厳密にはスサノオの母ではないが、『日本書紀』においては実の母となっている。しかし、『古事記』においてもスサノオは、イザナミを母のように感じていたようだ。

母親から追放されるスサノオ(日本書紀)

『日本書紀』正文ではこうなっている。
イザナギとイザナミの間に生まれたスサノオは、勇ましくかつ残忍な性格だった。そこでイザナギとイザナミの二神は、「汝甚だ無道し(お前はまったく酷い乱暴者だ)」「もとより遠く根国に適れ」と、スサノオを追放する。

「親元を追放された」という展開は『記紀』で同じ

母イザナミがいる根之堅州国に行きたいと泣き、父に追放される『古事記』のスサノオに対し、勇敢で残忍な性格とされ、父母から根国へ追放される『日本書紀』のスサノオ。
似ているようで異なる追放譚が描かれるが、結局は「スサノオは親元を追放された」という展開である。

スサノオが姉のいる高天原を訪問

古事記〜スサノオの邪心を警戒した天照

スサノオに邪心がないか、占いで決めることに

ここからスサノオによる高天原訪問となる。
『古事記』では、イザナギの言いつけに従うものの、まずアマテラスに挨拶してから任地へ向かおうと言い、高天原へ上がる。
すると、山川が激しく動き国土が震え、驚いたアマテラスは、きっと弟は我が国を奪おうとしているのだと思い、武装して待ち構える。
「何のためにここへ上がってきたのか」と問うアマテラスに対し、スサノオは、「私に邪心はありません」と答え、根之堅州国に行く事情を伝えにきただけと釈明する。
アマテラスは「それならば、お前の心清き明るいことをどのようにして知ろうか」と問い、スサノオは「誓約(占い)をして子を生みましょう」と提案する。

日本書紀〜父母の命を守れという天照

ほぼ同じ展開、母が生きている点が違う

『日本書紀』も基本的な流れは同じだが、スサノオは、イザナギに高天原の「姉」に申し上げて根国に行く「勅許」を得てから高天原に向かう。
この後の展開は基本的に変わらないが、微妙に異なる。
アマテラスは、スサノオに対し、そもそも父母が子供たちに任地を分けたのに、どうしてこの国へ来たのだ、と問いただす。
それに対してスサノオは、自分に邪心はないと申し上げた上で、「父母の厳しい命があったので、永久に根国に行こうと思います」と答える。
「父母」の命という共通する概念がある。

誓約(占い)で決着をつけることに

生まれた子供の性別で、心の清濁を判断

女が生まれたら濁心、男が生まれたら清心

誓約においてスサノオは、「もし私が生む子が女ならば、濁心があるとお思いください。もし生まれた子が男ならば、清心があるとお思いください」という。
「女/男=濁/清」という構図が明記され、先の「父母」も含めて中国の思想に基づく。

現代人からすると差別的といえる思想

父母を絶対的に尊ぶことは孝の観念である。『孝経(中国の儒教の経典)』がつくられ、古代日本でも親しまれた。また、「女/男=濁/清」の構図は、陰陽説に基づく。そもそも『日本書紀』は、陰陽説の世界観をもとに編まれている。陰陽説は、世界は陰と陽で成り立つと考えるもので、陽は天や日、男など、陰は地や月、女などが当てられる。『日本書紀』でイザナギは陽神、イザナミは陰神と表記され、天地創造の神話も混沌から清陽と重濁が生まれ、清陽は天となり重濁は地になる。これは『淮南子』や『三五暦紀』に基づくものである。女神なら「濁心」であり、男神なら「清心」という誓約の説明は、陰陽説が下書きになっている(ただし、太陽神アマテラスが男神ではなく女神という基層は変えられず、平安時代の『日本書紀』勉強会(講書)で問題となった。

誓約で弟が勝利するが、姉は認めず

天照が呪い結果に言い掛かりをつけてくる

誓約が行われ、互いの持ち物をかみ砕いて噴き出すと、スサノオから五男神が、アマテラスから三女神が生まれた。
スサノオから生まれたのが男神なのでスサノオに邪心がないことが証明されたはずだが、『古事記』『日本書紀』ともにアマテラスは、男神となった勾玉の持ち主は自分だという理由で、男神を自分のものにしてしまう
。 『古事記』では数の多さをアマテラスが奪取し、『日本書紀』では男女という性差を押し付ける形となっている。

誓約で誕生した神々

スサノオの十拳剣でアマテラスが生んだ神

  • 多紀理毘売命(田心姫)
  • 市寸島比売命(市杵嶋姫)
  • 多岐都比売命(湍津姫)

アマテラスの勾玉でスサノオが生んだ神

  • 活津日子根命(活津彦根命)
  • 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊)
  • 天津日子根命(天津彦根命)
  • 天之菩卑能命(天穂日命)
  • 熊野久須毘命(熊野クス樟日命)

スサノオが暴力行為をはたらく

天照が天岩戸に籠ってしまう

やがて高天原におけるスサノオの乱行が始まる。
『日本書紀』では、春にアマテラスの御田に「重播種子(他人が種をまいた上に、さらに種をまいて害すること)」して畦も破壊する。秋には天斑駒を田に伏せて収穫を妨害する。
神聖な新嘗の御殿を糞で穢し、「逆剥」(普通ではない皮の剥き方)した天斑駒を御殿に投かぎげ入れた。これによってアマテラスは、機織りの梭で傷を負ってしまった。
かくしてアマテラスは、天石窟戸に籠る。

古事記と日本書紀でほぼ同じ結末となる

これは、大祓で読まれる祝詞の天津罪と一致している。 この乱行は、『古事記』も同様だが、アマテラスは、スサノオの乱行を言葉で意味づけ直している。
弟神を庇っているように見えるが、言霊の呪力で現状を構築し直し、抵抗しているという説もある。
やがて天斑駒が投げ入れられ、目の前で天の服織女が亡くなると天石屋戸に籠る、という展開を迎える。
>> 天岩戸神話

スサノオの乱行一覧

スサノオが働いた乱行の数々だが、子どもの悪戯のようなモノも含まれる。

@アマテラスの良田を荒らす
誓約での勝ちに任せ、スサノオが高天原で田の畔を壊して溝を埋めた。『日本書紀』正文によれば、春は種を重ねて蒔き、田の畔を壊し、秋には斑毛の馬を放して田の中を荒らした。『日本書紀』一書では、自分の土地がアマテラスの土地に比べて痩せていたため、姉の土地に害を与えたという。
A神殿を汚す
神聖な御殿にスサノオが糞を撒き散らした。『日本書紀』の異伝では、新嘗を行う時に、スサノオが新宮の席の下にこっそりと糞をした。これを知らずに座ったアマテラスが怒ったという。
B馬の皮を剥ぎ機殿に投げ込む
アマテラスが機屋で神衣を織っていたとき、スサノオが機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ血まみれの馬を落とし入れたため、驚いた1人の服織女は梭が陰部に刺さり死去した。『日本書紀』の一書では、稚日女尊が神衣を織っていた清浄な機屋に、スサノオが天斑駒(高天原にいたという斑毛の馬)の皮を逆さに剥ぎ御殿の中に投げ入れ、驚いた稚日女尊自身が梭によって体を痛め、死去。

↑ページTOPへ