マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦 〜 航空隊と艦隊に大打撃

日米の能力差が明確に示され惨敗

昭和19年(1944)6月19日〜6月20日

マリアナ沖海戦(1944年6月19〜20日)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)においてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日米海戦。
日本はアウトレンジ戦法による航空攻撃を行うが失敗、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれる惨敗を喫し、空母を三隻も失った。
日本側は万全の体勢を整え、自軍の勝利を疑わなかったが、結果は散散であった。この敗北によってマリアナ諸島の大半をアメリカ軍が占領し、西太平洋の制海権と制空権をアメリカに奪われてしまう。
アメリカ軍側の呼称は「フィリピン海海戦」である。また、作戦名は日本側が「あ号作戦」、アメリカ側は「フォレージャー作戦」であった。

目次

サイパンの戦いに並行した海戦

サイパン島西方の海域で行われたマリアナ沖海戦は、米軍のサイパン島上陸にともなう空母攻撃軍の急襲が引き金となって勃発した。(サイパン島陥落)

米軍の大艦隊が接近しても楽観的だった司令部

サイパン島上陸に先立つ昭和19年(1944)6月6日、米軍は12万人以上の上陸部隊と空母15隻を含む大艦隊を出撃させた。
この大艦隊の動きを、日本海軍の情報網はサイパン島上陸が開始されるまで把握していなかった。
司令部は情報参謀から米軍のサイパン島上陸が進言されても、ニューギニア北西部のビアク島攻略のあと、パラオ、マリアナ諸島を攻略すると思っていたのだ。

日本海軍は【報連相】ができておらず

肝心な情報を友軍に伝えず、穴だらけになっていた防衛網

フィリピン島南部海域に待機していた小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊は、空母9隻を基幹としてマリアナ沖に進出。
米艦隊の撃滅を図る「あ号作戦」発動を受け、日本軍は第一機動艦隊と、グアム島の陸上基地からの航空戦力で米艦隊を罠にかけようとした。
しかし、頼みとするグアム島の航空戦力が、米空母艦隊からの航空機による猛爆で壊滅的打撃を受けていたことは知らされていなかった。

アウトレンジ戦法による奇襲で勝利を確信するが…

6月19日、米軍機動部隊を発見した日本海軍は、遠距離から攻撃機を発進させて先制空襲を仕掛けた。
日本海軍の航空機は航続距離が長く、それを利用して米空母機の攻撃可能限度外から発進させ、敵機動部隊を叩く「アウトレンジ戦法」をとったのだ。
予定どおり攻撃機を発進させた小沢中将率いる空母艦隊司令部では、「大成功、勝利間違いなし」と確信したという。

米軍の最新装備の前に手も足もでず

奇襲とならなかったアウトレンジ戦法

しかし、米軍の空母15隻はいずれも新鋭で、レーダーを備えていた。
レーダーによる情報収集・分析と、明瞭な指示を航空機へ伝える無線電話という、日本軍からすれば夢のような戦闘システムを構築していたのだ。

日本軍の航空隊が全滅

航空機vs航空機でも太刀打ちできず

来襲を探知し待ち伏せていた米軍戦闘機群の迎撃によって、日本軍機の多くは敵機動部隊に到達する前に撃墜された。「マリアナの七面鳥狩り」と呼ばれた一方的な空中戦である。

地上海上からの攻撃でも航空機が撃墜され

次々と撃墜された日本軍機は、米軍機動部隊の上空にようやく到達しても強力な対空砲火によって撃ち落されてしまう。
戦艦から撃ち上げられた砲弾は、航空機に命中しなくとも50メートル付近まで近づくと熱を感知して爆発するVT信管を取り付けた砲弾だった。
新型兵器の効果は絶大で、日本の航空隊は全滅。先制空襲は失敗に終わった。

空母3隻撃沈、制空&制空権を奪われる

潜水艦を相手に手も足もでず

歯が立たなかったのは航空隊だけではなかった。
潜水艦まではアウトレンジすることはできず、日本の主力空母2隻が米軍潜水艦からの魚雷攻撃で沈没したのだ。
追い打ちをかけるように、米軍は航空機を夜間出撃させる危険を冒しながら、日本の空母1隻を撃沈。
日本軍は事実上、空母機動艦隊を失い、中部太平洋の制空・制海権を失った。

あらゆる面で米軍に負けていたが、その事実も共有せず

日本軍が理想的な攻撃態勢をとれたと確信し勝利を疑わなかったマリアナ沖海戦は、米軍の情報収集能力や科学技術力など、あらゆる面で日米の格差を見せつけられる結果となった。
米軍の総合的な戦力に立ち向かう能力は日本にはないことが明らかになった。
だが、報連相ができていない当時の日本軍は、この事実をきちんと共有することもできなかった。

マリアナの七面鳥狩りとは

差が開いていた日米の情報力と技量

マリアナ沖海戦の空中戦で12機を撃墜した米軍パイロットのウィリアム・B・ラム大尉は、まるで飛べない七面鳥を後ろから狙い撃ちしたようだったことから、「マリアナの七面鳥狩り」と自慢したという。
「マリアナの七面鳥狩り」が起きた要因としては、事前に米軍に情報を探知されていたことに加え、パイロットの技量と航空機の性能に格差が生じていたことが挙げられる。日本軍のパイロットは熟練者が激減し、訓練も不十分で飛行時間も極端に短い者が大部分だった。さらに性能面で日本軍の零戦を上回ったF6F-3ヘルキャットなどが出現したことで、敵からの攻撃をうまく避けることができず、日本軍の戦闘機の多くが撃墜されたのだった。


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