高橋財政とは、高橋是清が務めた財政政策のこと。
高橋は、犬養毅内閣(1931年12月〜1932年5月)・斎藤実内閣(1932年5月〜1934年7月)・岡田啓介内閣(1934年7月〜1936年3月)と3つの内閣で5年間、大蔵大臣を務めた。
大正時代から昭和初期に掛け日本には何度も経済危機が訪れたが、高橋はリフレーション(リフレ)やモラトリアム(支払い猶予令)といった経済政策で対処した。
高橋は「二・二六事件」で暗殺されてしまうが、彼がとった経済政策は日本の経済史に残る斬新な政策であった。
戦前の積極財政政策がどのようなものであったかみてみる。
犬養・斎藤・岡田内閣で大蔵大臣を務めた高橋は、日本が世界恐慌の波に飲み込まれる中で、金輸出再禁止を行い、通貨を増発した。※
これにより円安になり、繊維産業を中心に輸出量が増えたのである。
※金本位制に替わって紙幣の発行額を国家が管理統制する管理通貨制度を採用した
一方で「スペンディングポリシー(積極的財政支出政策)」にも取り組んだ。
不況下で税収が減少しているところで、如何に財源を確保するか??
高橋は赤字国債※を発行する事で財源の調達を試みた。
※赤字国債(特例国債)とは、歳入不足を補うために発行される国債のこと
ただし、高橋は発行した国債を日本銀行に引き受けさせ、日銀が保証する形で買い手を募った。
日銀経由で、速やかに国債を市中に売却するという手法を取ったのだ。
高橋はときに「日本のケインズ」などとも呼ばれているが、ケインズとは、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズの事。
ケインズは1936年、公債発行による財政政策を説いて、後の経済学に大きな影響を与えた。
高橋はそのケインズに先駆けて、現実の経済政策としてケインズ理論を実践していた。
大蔵大臣として高橋がとったこれらの斬新な経済政策によって、世界恐慌下で日本は世界の中でいち早く景気を回復させる事に成功した。
しかし、赤字国債の大量発行はやがてハイパーインフレを招く恐れがある。
ハイパーインフレとは、物価が過度に上昇し通貨の価値が暴落した状態を指し、これらは深刻な物不足によって生じる。
国債発行で際限なく経済を回せば、消費が進み過ぎて、物不足に陥る、という事だ。
実際、日本は第二次世界大戦での軍事費用を国債で賄った為に、戦後に深刻な物不足に陥っている。
高橋は赤字国債とハイパーインフレのリスクを正しく理解していた。
そのため高橋は、軍部の軍事費大幅増額の要求に対し、軍事費の抑制を図っている。
しかし、その事で高橋は軍部の恨みを買ってしまう。
そして、岡田内閣のときに起こった「二・二六事件」で高橋は暗殺されてしまった。
現在では、国債の日銀引き受けは財政法第5条によって、特別な理由がない限り禁止されている。
これを「国債の市中消化の原則」と言う。
日銀が国債を引き受けて政府へ資金を供与すると、それはやがて政府の財政節度を狂わせ、再び悪性インフレを引き起こす危険性があるからだ。