明治に開国して急速に近代化が進み、大正、そして昭和と、時代が進むごとに人々の衛生観念も変化していった。
各時代の人々が使っていた衛生用品から、その当時の暮らしぶりが見えてくる。
石鹸、シャンプー、洗剤、昭和の家庭の衛生事情を簡単にまとめる。
戦後、日本は急速な近代化によって排気ガスなど大気汚染が進み、衛生事情にも変化が求められた。
そして、人々の生活に必要不可欠な、石鹸や洗剤などの日用品が、変化する生活様式に合わせて、使いやすく進化を遂げてきた。
例えば、洗濯の際に洗濯板と粉石鹸が使われていたのは明治時代から昭和の中ごろまでであった。
ヨーロッパで発明された洗濯板は、その後欧米から日本に伝わってきたもので、もちろん洗濯機は日本で開発されたものではない。
電気洗濯機が発明されたことに伴って、次第に洗濯板を使用する家庭はなくなっていった。
しかしながら最近では、ハンカチや靴下などの小さいもの、汚れた衣服の部分洗いなどに便利であると、その存在が見直されてきてもいるようだ。
そして第二次世界大戦後の1950年代、電気洗濯機がいわゆる「三種の神器」(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)のひとつとして低価格で売り出され、瞬く間に普及した。
それに合わせて販売されたのが合成洗剤だ。
この合成洗剤によって人々の生活がより清潔なモノへと進化する。
昭和35(1960)年に花王から発売された洗濯用合成洗剤「ザブ」は、花王初の100%石油由来の洗剤。
暮らしが欧米化されたことで、人々の食生活に変化があり、油汚れも増えていたため、そういった衣類の汚れにも対応していた。
スカートなど、昭和時代ではそれまでとは違った素材や形式の衣服が流行。また、国民の食生活が変わり、油を多く使った食事が日常的になったことで、汚れの種類が増えていたのだ。(というか昔はもっと汚れが少なかった)
それらに対応して、さまざまな素材や汚れに特化した洗剤へと生まれ変わっていき、その進化は今でも進んでいる。
石鹸が日本へ伝わったのは安土桃山時代のことだ。
ポルトガル船によってもたらされたのがはじまりで、当時は石鹸はとても贅沢品で、身分の高い者にしか手にすることは出来なかった。
明治時代になると、日本の国産ブランド石鹸が登場した。
しかしやはり高価なものには変わりなく、一般庶民にはなかなか手が出なかったようである。
信じられない話であるが、明治時代ごろまで、女性たちはなんとウグイスのフンで洗顔を行っていたという。
1900年代に入ってようやく石鹸の大量生産が可能になり、暮らしには欠かせないものとなっていった。
洗髪にも紙石鹸などが使われていたが、明治時代の洗髪の頻度は月に1〜2回ほどであった。
多くは櫛で髪を梳いたり、油をつけるだけというものであった。
現代からしてみれば驚かされる話であるが、それだけ大気中の油・汚れや、日常的な食べ物による差がここにあらわれているのだ。
1950年代の洗髪頻度は5日に1回で、1970年代になると、洗髪頻度は週2〜3回になっていった。
これはこの時代に風呂つき住宅が普及し、内風呂ができて手軽に風呂に入れるようになったという背景もった。
「シャンプー」という言葉がはじめて登場したのは大正時代のことであった。
といっても現在のような液体ではなく、粉石鹸などを原料とした「髪洗粉」であった。
その後、粉末シャンプーや液体シャンプーが発売され、現在に繋がっていく。
この時期に花王が「ムチャです。大切な髪を・・・石鹸や洗剤で洗うのは」「5日に1度はシャンプーを」などの新聞広告を打ち出し、シャンプーで髪を洗う習慣が大衆文化として定着していった。
柔らかな髪を石鹸で洗うことはさすがに無理があったのだろう、以降、シャンプー頻度が上がっていく。
当時は水で薄めて洗髪の仕上げで髪にかけるという使い方だった。
1970年(昭和45)にライオンから「エメロンクリームリンス」が発売され、ツヤがありさらさらした髪の女性が振り向くというCMが話題になったことで、おしゃれな女性たちに欠かせないアイテムとなった。
1980年代には女子高生たちの間で「朝シャン」が大流行。寝癖直しのほか、いい香りのまま登校できることが魅力的だった。
1932年(昭和7年)に花王よりシャンプーが発売、「シャンプー」という言葉を日常語として定着させ、日本人の洗髪習慣を大きく変えた。「ープンャシ王花」と右読みである事がその時代を物語っている。
1950年代になると、ようやく石鹸原料ではない洗髪剤が売り出されることになり、花王より粉末状のシャンプーが発売された。