スペイン帝国の没落

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スペイン帝国の没落

スペイン帝国の没落

大航海時代の海洋進出によって、世界的植民地帝国を築き上げたスペイン帝国。
しかし、そのスペインの繁栄は長くは続かなった。
相次ぐ戦争や宮廷の贅沢による浪費、対抗宗教改革による迫害などが重なり、スペイン帝国は没落してしまう。

太陽の沈まぬ国 スペイン帝国

1479年、カスティリャ女王とアラゴン王の結婚により誕生したスペイン王国
さらにスペイン王国は、両王の間に生まれた娘とオーストリアのハプスブルク家フィリップが結婚、その子カルロス1世が王となり、カール5世として神聖ローマ皇帝を兼ねた。

全世界に拠点を獲得

その後、ハプスブルク家はスペインとオーストリアに分かれるが、スペイン王を継いだフェリペ2世アメリカ大陸ネーデルラント(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3か国)などを領有する。
1571年にオスマン帝国レパントの海戦で破り、地中海の制海権を握ると、80年には母方の血筋であったポルトガル王位をついで、アジア貿易も支配下に収めた。
これにより全世界に拠点を獲得したスペインは、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。

異教徒の迫害によって、国内分裂が生じる

この頃、フェリペ2世はカトリックの擁護者を辞任し、対抗宗教改革を推進して他国の内政に干渉した他、自国内のユダヤ人イスラム教徒を迫害している。
そのため、国内経済で中心的な役割を果たしていたユダヤ人やイスラム教徒が国外に流出してしまう。
また、属領のネーデルラントでは、新教徒カルヴァン派の反乱「オランダ独立戦争」を招いている。

戦争や贅沢によって、急速に国力を消耗していく

オランダ独立戦争による新教徒との争いや、イスラム諸国との戦争、さらには宮廷での浪費によって、中南米などからもたらされた富は消え、スペインの国内産業は育たなかった。
そして、88年にはスペイン無敵艦隊が「アルマダの海戦」で、イングランドやネーデルラントの軍に敗北し、大西洋での制海権を失ってしまう。
その後のスペインは、プロテスタントの反乱である三十年戦争(1618〜48年)や、国内の権力争いによるスペイン継承戦争(1701〜13年)などにより、疲弊していく。
結果として、次々と支配地域を失っていき、急速に勢力を衰退させていき、スペインの黄金世紀は終焉を迎えた。

スペイン無敵艦隊の敗北

1588年、イギリス船による海賊行為に業を煮やしたスペイン王フェリペ2世は、無敵艦隊によるイギリス征討に乗り出すも失敗に終わった。
無敵艦隊は88年7月に、130隻の大艦隊で編成され、ラコルニャを出航する。
しかし、英仏海峡でのアルマダの海戦で、イギリス軍の小型船の機動力を駆使した戦術の前に大敗を喫する。
その後、スコットランド沖で嵐にあい、スペイン艦隊は多数の艦船を失ってしまい、スペインの帰港した際には」、船舶の半分と将兵の約2/3を失っていた。


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