神体山とは神が宿るとされる山岳、神奈備の山のこと。山は水を蓄え、人々の暮らしに豊穣の恵みをもたらすため神が宿るとされた。稲作農業に不可欠なモノ。神奈備は多く種類があり円錐形の山が神体山とされやすい。「霊峰」とも呼ばれ、富士山が代表的。
日本では風土を司る神様がさまざまな自然物に宿ると考えられ、人々は祭祀を行った。
このような自然界の神が宿る依り代を「神奈備」という。
神奈備にはいくつもの種類があるが、その代表格が山である。
とくに、キレイな円錐形の山が神体山と呼ばれ、神が宿るとされてきた。
いうまでもなく、富士山はキレイな円錐形の山だ。
山は多くの水を蓄え、里に潤いをもたらす存在である。
春になって山から里へと流れ出る雪解け水は、大量の水を必要とする稲作農業にとっては不可欠なものであり、豊かな水こそ山の神からの第一の恵みと受け止められていた。
また日照りが起これば、雨乞いの儀式が山の上で火を焚いて行われることも多かった。
やがて、春になると山の神を里に迎えて田の神として留まってもらい、無事収穫が終わった秋に丁重に山へと送り帰すお祭りが行われるようになる。
これが、今にまで残る春祭り、秋祭りの起源だと考えられている。
また、山の稜線から上る太陽の位置から古代の人々は種まきの時期を知るなど、山は天然のカレンダーの役割も担っていた。
山の恵みは水だけではない。
山は金や水銀、鉄などの鉱物資源の宝庫であるほか、鳥や獣、山菜や薬草を収穫する場でもあった。
日本人が山を神として信仰するもうひとつの理由が、山中他界観という考え方であるとされる。
古代の人々は人が亡くなると霊魂は高いところに昇っていくと考えたという説がある。
そのため、里近くの山中を自分の親や祖先たちの神霊が集まって留まっている死後の世界と捉え、里=生者の世界とは異なる他界と見たのかもしれない。
そして、山に留まった祖霊はやがて山の神と一体となって、子孫の繁栄と豊作をもたらすと信じられた。
こうした山岳信仰はその後、修験道として発展していくことになった。
山の中でも火山は前触れもなく噴火して甚大な被害をもたらす「荒ぶる神様」でもある。
例えば、日本の最高峰である富士山について、『富士本宮浅間社記』では7代・孝霊天皇の時代に富士山が大噴火し、周辺住民は離散して荒れ果てた状態になったとあり、富士山の神霊を鎮めるために11代・垂仁天皇が富士山の神霊・浅間大神(コノハナノサクヤヒメ)を祀ったとされる。
これが富士山本宮浅間大社であり、富士山の周囲をぐるりと浅間社が囲んでいる。