式年遷宮

式年遷宮〜常若の社殿

若く穢れなき社殿を1300年を保ち続けた

式年遷宮とは伊勢神宮(正確には神宮)にて定期的に行われる遷宮のこと。建物が老朽化することを穢れとし、常に社殿を清浄に保つ目的が在る。延引された時期もあったが、基本的に20年毎に社殿が造り替えられた。太古の日本を現代に伝える日本最大のお祭りだ。

目次

式年遷宮〜穢れのない社殿を保つ

常若(とこわか)とは、常に新しく若々しい

伊勢の神宮に息づく精神の1つに“常若(とこわか)”の思想がある。
常若とは、常に新しく若々しい様子のことを指す。

常若を実現する為の式年遷宮

この思想を支えるのが、日本最大の祭り・式年遷宮である。
伊勢の神宮では、20年に一度、内宮・外宮の両御正宮、14の別宮の社殿などをすべてつくり替えて、神を遷す式年遷宮が約1300年前から続けられている。

頻繁に建替えを行うことで、太古の姿を今に伝えている

どのような建物でも時間の経過とともに建設当時の姿は失われてしまう。現在残る多くの歴史遺産も例外ではない。
しかし、20年に一度式年遷宮が行われることで、伊勢の神宮は太古の頃の姿を現在の私たちに伝えてくれるのである。

なぜ20年に一度なのか?

技術の継承に適した年月が20年説

なぜ20年に一度、行われるのかには諸説あるが、技術の継承に最も適した年月ともいわれている。
古代より続く建築形式に則るため、現在の大がかりな建築機材などは使われない。
当然、式年遷宮の造営は、「マニュアル」ではない熟練の「技」が必要となってくる。
そのため、職人から次世代の職人へと技術継承が可能な年数として、20年が最も適した年月なのだという。

可能な限り建物を清く保つため早いほど善い説

また建物が老朽化することは穢れ(気枯れ)につながる。
神の住まいである社殿を常に新しく清浄にすることで、神々の生命力を甦らせ、活性化する意味もある。

60棟の殿舎と宝物の造替

多くの神殿を造り替え、納める宝類も新調

式年遷宮は、60棟におよぶ神殿を造り替え、すべてが整ったところで、浄闇のなか、ヒノキが香る新しい御正殿へと、神が遷座する遷座祭が営まれる。
その際、神殿を新しくするだけでなく、中に納める御装束神宝類もすべて、精魂込めて新調する。 調進される神宝・御料、その数約1600点。刀や弓、盾、矛などの武器から、御衣・御裳・襪といった装束、さらには硯など、日常の調度品にまで及ぶ。

旧殿を残したまま隣の敷地に新しく造営する

造替といっても、取り壊したその跡地に御正殿を新築するわけではない。
内宮・外宮の御正宮および別宮には、それぞれ隣接して同じ面積の敷地があって、その敷地に、まったく同じ様式の宮殿を造るのである。

旧殿は解体後、同じ場所に20年後に再造営される

旧正殿や旧宝殿などは解体されるが、正殿の中心の床下に奉建された「心御柱」のみは、その跡地に、覆屋を設けられて残る。
つまり、20年に一度、祭神はその隣り合った敷地を左から右へ、右から左へと引っ越しをくり返していくことになる。

遷宮にも8年ほどかかる

30を数える祭典や行事が続き、天皇もそこに関わる

式年遷宮は足掛け8年ほどにわたる。
まず造営の御用材を伐る山の神を祀る「山口祭」からスタートする。その後、30を数える祭典や行事が続くが、遷宮の儀は「皇家第一の重事」「神宮無双の大営」(「遷宮例文』)と言われるように、神宮最大級の厳儀であるから、うち主要な12の祭典については、執行日時を天皇が定める「御治定」を仰ぐ。

永らく続く「古儀へのこだわり」がある

式年遷宮で重要なことは、第一に、建物の造替においても、御装束神宝の調進においても、そして祭典においても、その他の諸祭にも増して「古儀へのこだわり」があることである。
明治の新政に際しては、神宮でも恒例祭に改廃があったが、遷宮祭のみは「皇祖奉斎の厳儀」であるため、旧儀に依拠し、手が加えられなかったという。

約1300年に及ぶ式年遷宮の歴史

第1回式年遷宮は688年、41代持統天皇の時代

第1回の式年遷宮が行われたのは、41代持統天皇の時代である688年のことである。
式年遷宮における造営その他にかかる経費も莫大で、当初は伊勢の神宮が所有する神郡などから上納される税が主で、やがて国家税収からの補充が行われた。

国家が困窮すれば遷宮も苦労することに

しかし、律令制が早くも平安時代初期には弱体化してくると、国家財政はしばしば労苦を強いられる。
そこで神宮の造替では、11〜12世紀になると、全国の荘園に対して式年遷宮のための臨時徴税も行った。

戦国時代、朝廷の財政悪化により遷宮に遅れが出る

中世に入っても当初は、式年遷宮の式年は比較的忠実に守られていたが、室町時代後期に入ると式年遷宮の保持は厳しいものとなる。
102代後花園天皇の寛正3年(1462)の第40回式年遷宮(内宮)は11年遅れた。
戦乱戦国の世ともなると、神領の管理も難しくなり、その次の遷宮は、仮殿への遷御でしのぎながら、正遷宮は、内宮では実に124年目、外宮では130年目にようやく完遂される非常事態になった。

江戸時代は「20年に一度」が厳守される

江戸時代に入り、世の中が落ち着きを取り戻すと、「20年に一度」の式年は再び厳守されるようになった。

明治以降、現代になっても神宮の威光は衰えず

明治維新という一大改新においても、恒例祭の改廃に振り回されず、遷宮祭のみは「厳儀」として旧例が守られた。
その後も、第二次世界大戦の終戦直後の混乱で数年の遅れがあったものの、それ以外は一貫して、「長き例となせ」の宣旨が生き続けている。
昭和48年(1973)の第60回式年遷宮からは、御木曳行事に「一日神領民」の参加が許され、全国から多くの人々が伊勢に集っている。


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