ロシアのクリミア併合

ウクライナ内戦とロシアのクリミア併合

2014年のウクライナ政変で新欧米はの暫定政権が誕生すると、ロシアは危機感を高めた。
ロシアは武力を用いた手法でクリミアを併合し、東部ウクライナで分離派を支援した。
このロシアの行動に反発した欧米諸国は、ロシアへと経済制裁を発動している。

クリミア併合を強行したロシア

ウクライナで欧米よりの暫定政権樹立

2013年、ウクライナでは親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコヴィチ大統領が、EUとの政治・貿易協定調印を土壇場で覆した事により、国内の親EU派が中心となって大規模な反政府デモが起きていた。
翌14年になると騒動はさらに拡大し、ヤヌコビッチは2月に国外へ逃亡する。
親欧米派のオレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行に就任した。

ロシアの進軍と、選挙によるクリミア併合

この政変に反発したのはロシアだった。
ウクライナ領のクリミア自治共和国にはロシア海軍のセバストポリ軍港(ロシアの租借地軍港)があり、親欧米政権誕生が同軍港の継続使用の妨げになる事を危惧したのだ。
そこでロシアはクリミアに軍を進め、3月にロシアへの編入の是非を問う住民投票を強行する。
クリミアはロシア系住民が多いため、編入賛成が多数隣。クリミアを併合した。

NATOの拡大を危惧したロシア

次にロシアは、ロシア系住民の多いウクライナ東部で同国からの分離を求める武装勢力を支援し、ウクライナは内戦状態に突入した。
ロシアの狙いは、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟に対する牽制である。

次々とNATOに接近するロシアの隣国

同じ構図の出来事が、2008年にロシアと国境を面するジョージア(旧グルジア)でも起きていた。
親欧米派のサーカシビリ政権がNATO加盟の動きを加速しようとすると、ロシアは同国北部の南オセチア州およびアブハジア州の分離独立運動を支援し、グルジア戦争(ジョージア差戦争)を起こしたのである。
冷戦終結時、アメリカはソ連にNATOの東進は無いと説明したが、その後、加盟国は次第に拡大しており、ロシアは不満と不安を募らせていた。
その後も、ジョージアではNATO加盟への動きが続いており、2015年には、首都トビリシ郊外にNATOとジョージア軍の共同訓練・評価センターが設立され、ロシアが反発している。

ロシアへの経済制裁

ロシアの一覧の動きに対し、欧米諸国は武力による現状変更は認めないとして、ロシア政府高官や一部企業の資産凍結、入国禁止などの経済制裁を発動した。
原油価格の急落も打撃となり、ロシアの2015年の経済成長率は前年比でマイナス3.7%となった。
同年2月にはウクライナ東部内戦の停戦合意(ミンスク合意)が成立するが、その完全履行には至っておらず、経済制裁も解除されていない。


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