ソ連崩壊

ソ連崩壊と冷戦終結

東欧諸国の民主革命がソ連を解体へ導く

ソ連が制限主権論を否定した事により、かつてのような民主化弾圧の恐れが亡くなった東ヨーロッパ諸国は、一斉に民主化を進めた。
これにより、ソ連の求心力が著しく低下した為、米ソ共同で冷戦の終結を宣言する。
さらに、民主化の波は、ソ連内部にも及んでおり、バルト三国も独立を果たし、ロシアも主権を回復する。
ソ連崩壊を恐れた保守派がクーデターを画策するも失敗、69年に及んだソ連が終焉を迎えた。

ペレストロイカを受け、急進する東欧の民主化

ソ連のペレストロイカは、東欧社会主義諸国の民主化機運を大いに刺激した。
特に影響を与えたのは、1988年3月にユーゴスラビア連邦議会でゴルバチョフ書記長が行った新ベオグラード宣言である。
これは、各国独自の社会主義路線を肯定するなど、ブレジネフの制限主権論を否定するものであった。

ハンガリーの民主化

これを受け、88年5月にはハンガリー社会主義労働者党内で急進改革派が台頭。
56年のハンガリー動乱以降続いた新ソ連派カーダール政権が崩壊する。
以後、ハンガリーは複数政党制への移行や共和国宣言を経て、90年3月には自由選挙が実施された。

ポーランドの民主化

89年に入ると東欧諸国の民主化は一気に進む。
まずは2月、ポーランドで非共産党系の自主管理労働組合「連帯」の政治参加が認められ、6月の総選挙で圧勝。
12月に憲法を改正して共和国となる。

ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一

東ドイツでは、西ドイツへの亡命者の急増と共に、各地で市民デモが頻発。
11月にはベルリンの壁が崩壊した。
翌90年3月には、東ドイツの議会選挙で早期のドイツ統一を主張するキリスト教民主同盟などが勝利し、同年10月に東西ドイツ統一が実現したのである。

マルタ会談での冷戦終結宣言

東西冷戦の象徴だったベルリンの壁崩壊の衝撃は大きく、同じ89年11月にはブルガリアとチェコスロバキアでも政変が起きた。

内乱に発展したルーマニア革命

一方、ルーマニアでは同年12月に発生した民主化デモに治安警察が発砲。
一連の東欧革命で、唯一流血の事態を招いた。
さらに、民衆の側に付いた国軍と大統領派の治安警察の間で市街戦が勃発するが、同月中にはチャウシェスク大統領が失脚、処刑されて事態は沈静化した。

ブッシュとゴルバチョフの会談

こうして東欧各国が社会主義体制から、市場経済と議会制民主主義に基づく体制に移行した。
これを受け、12月3日には地中海のマルタ島でブッシュ(父)大統領とゴルバチョフが会談。
共同で冷戦終結を宣言し、40年以上に渡った東西の分断に終わりを告げたのである。

民主化の波がソ連を崩壊させる

ゴルバチョフが主導した改革が、結果的に東欧各国の民主化革命に結びついた。
90年代になると民主化要求の機運は、ソビエト連邦内部でも高まる事になり、それは民族主義の台頭という形で現れた。
特にグラスノスチ(情報公開)が進むと、独ソ不可侵条約の密約でソ連に併合された歴史を持つエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国が、90年3月以降、相次いで独立を宣言した。
さらに同年中にはコーカサス地方のグルジア(現ジョージア)やロシアまでも主権宣言を発している。

エリツィンがロシア大統領に就任

この頃、注目を集めていたのが、90年5月にロシア最高会議議長となったエリツィンであった。
急進改革派のエリツィンは翌91年6月、ロシアに大統領制を敷き、直接選挙を実施して初代ロシア大統領に就任する。
ソ連邦内でも特に大きな力を持っていたロシアが主権を主張し始めた事で、ソ連は二重権力状態となった。

ソ連の存続を巡り、内部分裂

ゴルバチョフは91年8月、急進派の意向を汲む形で、ソ連をより緩やかな主権国家の連合体へと再編する新連邦条約の調印を準備した。
一方、ヤナーエフ副大統領らソ連共産党内の保守派は連邦解体の危機を感じていた。
そして8月19日、ゴルバチョフが休暇でクリミアに滞在している隙をついて、首都モスクワでクーデターを敢行した。
この保守派が起こしたクーデターを八月政変という。

保守派のクーデターは失敗に終わる

この時、エリツィンはロシアの首都でもあるモスクワに滞在していた。
事態を受けたエリツィンはすぐさま民衆に反クーデターを呼び、これに多くの民衆が呼応し、軍もクーデター派の命令を拒否した為、保守派の試みは失敗した。
ソ連が持つ権威を、エリツィンの求心力と民衆の団結力が、押さえ込んだのである。
ヤナーエフら首謀者は22日に逮捕され、モスクワに戻ったゴルバチョフは、クーデターに関与したとしてソ連共産党を解散させている。

ゴルバチョフの辞任で、ソ連消滅

クーデターの後、エリツィンに救出された形となったゴルバチョフの立場は急速に弱まっていく。
そして同年12月、連邦を形成していたロシアウクライナベラルーシの3共和国がソ連解体と独立国家共同体(CIS)の創設を宣言する。
そして、ゴルバチョフはソ連大統領を辞任し、ソ連は正式に崩壊した。

ソ連解体で誕生した国

  • ロシア(CIS)
  • ベラルーシ(CIS)
  • ウクライナ(CIS)
  • モルドバ(CIS)
  • グルジア(ジョージア)(CIS)
  • アルメニア(CIS)
  • アゼルバイジャン(CIS)
  • カザフスタン(CIS)
  • ウズベキスタン(CIS)
  • トルクメニスタン(CIS)
  • キルギス(CIS)
  • タジキスタン(CIS)
  • エストニア
  • ラトビア
  • リトアニア

↑ページTOPへ