同時多発テロとアメリカの誤算

同時多発テロとアメリカの誤算

21世紀の幕開けと同時にアメリカを襲ったアルカイダの攻撃は、テロリスト対国家という新たな戦争の始まりを世界に告げる事件だった。
アメリカは「テロとの戦い」を掲げ、アフガニスタン戦争とイラク戦争の2つの戦争を引き起こした。
アメリカは戦争に勝利こそしたものの、以降、中東地域の治安は悪化の一途をたどり、さらなるテロリストの台頭を許してしまう。
>> 同時多発テロからシリア内戦までの流れ

アメリカを襲ったテロリストとの戦争

1991年のソ連解体で冷戦の勝者となったアメリカは、軍事・経済の両面で並ぶもののない「唯一超大国」として20世紀を終えた。
しかし、続く21世紀の幕開けとなった2001年、新たな敵による新たな戦争に直面する事になる。

アメリカ同時多発テロ発生

2001年9月11日、アメリカ東海岸を飛び立った4機の旅客機がハイジャックされた。
ジャックされた旅客機の1機が墜落、1機がワシントンD.C.郊外の米国防総省本庁舎(ペンタゴン)に体当たりし、残りの2機はニューヨークの世界貿易センタービル2棟に相次いで激突した。
3000人以上の犠牲者を出したアメリカ同時多発テロである。

報復による空爆で、テロ組織が崩壊

1月に就任したばかりのジョージ・W・ブッシュ大統領は、ウサマ・ビンラディン率いる国際テロ組織アルカイダの犯行と断定した。
10月にはビンラディンの引き渡しに応じないアフガニスタンを空爆し、2カ月あまりでイスラム原理主義組織のタリバン政権を崩壊させた。

拡大する「テロとの戦い」

この行動が国内外から高い支持を得ると、ブッシュは「テロとの戦い」を拡大していく。
2002年の一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んで次の攻撃対象である事を示唆。
ついでこれらの国への先制攻撃も辞さない考えを示した。
そして、2003年には、大量破壊兵器の破棄を大義名分に、イラク攻撃準備を始めたのである。

イラク戦争とアメリカの誤算

イラク戦争

しかし、攻撃の理由とされた大量破壊兵器の保有は証拠に乏しかった。
よって、ロシアや中国は勿論、友好国のフランスなどからも、軍事行動に対する支持を得られなかった。
にも拘わらず、アメリカは善悪二元論を掲げ、イギリスなどを率いて2003年3月に開戦した。
圧倒的な武力でフセイン政権を倒し、5月には一方的に戦闘終結を宣言する。

イラクは大量破壊兵器を保有してなかった

フセイン政権を倒したアメリカだったが、大きな誤算をおかしていた。
すぐに沈静化すると思われた混乱が、収まらなかったのだ。
イラク国内は新たに政権を担ったイスラム教シーア派と、旧フセイン政権で中心勢力だったスンニ派の対立が激化する。
駐留米軍へのテロ攻撃も絶えず、米兵の死傷者と戦費は増加の一途をたどった。
さらに、2004年にはアメリカ政府調査団の報告により、イラクには大量破壊兵器がなかったことが判明する。
戦後になって、アメリカがイラクに仕掛けて戦いの大義が失われてしまったのだ。
そして、この混乱状況の中から、後に「ISIL」と呼ばれるイスラム過激派勢力の台頭を許してしまう。

中東からの撤退が実現できない米軍

ブッシュ大統領の誤算は、次のバラク・オバマ大統領政権に重くのしかかった。
「イラクとアフガニスタンからの撤退」を選挙公約に掲げていたオバマは2011年にイラクからの米軍撤退は実現させた。
しかし、治安維持の問題によりアフガニスタンからの撤退は断念している。

同時多発テロ〜シリア内戦年表

西暦 出来事
2001年 9月 アメリカ同時多発テロ発生
旅客機がジャックされ、ニューヨークの世界貿易センタービル、ワシントンD.C.郊外の米国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。
ブッシュ大統領「テロとの戦い」を表明
米政府はウサマ・ビンラディンを首謀者とするアルカイダが計画したテロだと断定。
アフガニスタンのタリバン政権へ、潜伏するビンラディンの引き渡しを要求する。しかし、タリバン政権はこれを拒否する。
  10〜12月 アフガニスタン戦争
国連の武力行使容認決議を経ずに米英がアフガニスタン空爆を開始。
反タリバンの「北部同盟」を支援するなどして、タリバン政権を崩壊させる。
2002年 1月 ブッシュ大統領が「悪の枢軸」批判
一般教書演説で「悪の枢軸」として、イラン、イラク、北朝鮮を名指しし、「ならず者国家」と討伐を表明する。
2003年 3月 イラク戦争
フランスやドイツの反対を押し切り、米英が開戦へ踏み切る。
大量破壊兵器の破棄を大義名分に、米軍中心の「有志連合」がイラク侵攻を開始する。
5月、ブッシュ大統領戦闘終結を宣言。
12月、逃亡していたサダム・フセイン元イラク大統領が米軍に拘束される。
2004年 10月 大量破壊兵器の存在が否定される。
アメリカ調査団により、イラクに上記の兵器がなかったと報告される。
  11月 ブッシュ大統領再選
2006年 2月 イスラム教シーア派聖廟爆破事件
  10月 イラク・イスラム国建国宣言
「アルカイダ」系組織を中心に複数のスンニ派組織が「イラク・イスラム国」を結成する。
2007年 1月 イラクへの米軍増派を開始
聖廟爆破事件を切っ掛けに宗派対立が激化。これを受け、米軍は3万人規模の派遣に踏み切った。
2009年 1月 オバマ大統領就任、リバランス政策へ転換
イラク、アフガニスタンの「2つの戦争」を終結させると公約に掲げたオバマが大統領に就任。
2011年からはアジアを含めた戦略の見直しを発表し、アメリカの世界戦略を転換する。
2011年 3月 シリア内戦勃発
以降、テロが激化する。
2011年 5月 米軍がウサマ・ビンラディン殺害を発表
  12月 米軍、イラクから撤退
2009年から開始したイラク駐留米軍の撤退を完了。
2013年 4月 ISILへ改名
スンニ派武装勢力のイラク・イスラム国が、「イラク・レバントのイスラム国 ISIL」へ改称。
2014年 5月 オバマ大統領、アフガニスタンからの駐留米軍撤退を表明
2016年末までの撤退計画を表明
  8月 ISILへの空爆開始
米軍、イラク・シリアの「ISIL(自称イスラム国)」への空爆を開始
2015年 10月 オバマ大統領、アフガニスタンからの米軍撤退を撤回する。
2017年 1月 ドナルド・トランプ大統領が就任

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