小店(こだな)とは、江戸時代の一般的な商店のこと。(大きな店を大店)家族経営、奉公人が数人程度、それでも庶民の暮らしを支えた小規模な商店たちだが、店舗数はもっとも多かった。彼らの商いをまとめる。
現代では巨大ショッピングモールがあれば個人商店もあるように、江戸時代にも大店(おおだな)と小さな店とがあった。
大店はもっぱらお得意様を相手に商売をしており、庶民が現金を持って行っても商品を売ってくれなかった。
もっとも大店では、庶民が日常的に買うような物はほとんど取り扱っていなかったので、買い物に行く必要もなかっただろう。
>> 当時は【後払いが当たり前】
庶民が買い物をするのは目抜き通りに面した大店ではなく、自分たちが住む裏長屋やその表通りに店を構えるような小さな店だった。
表通りに面した店を「表店(おもてだな)」といい、土地を借りて自分で建物を建てる場合と、建物も借りる場合とがあった。
ちなみに裏長屋にある店は「裏店(うらだな)」という。
裏通りに面した裏店は目抜き通りに面した大店とは違い間口が狭く、家族経営か、奉公人がいても数人程度の規模だった。
特に裏店の場合には、表通りに面していないことや店の規模が小さいため家賃も安かった。
地方から江戸へやってきて行商人として額に汗して働いてうまくいけば、おそらく裏店であれば自分の店を構えることも可能だった。だから「芝浜」という酒好きの魚の行商人が改心して酒を断って働き自分の店を持つという落語が生まれたのだろうか。
江戸時代の商店の特徴は、ひとつの店で1種類の商品を取り扱うことがある。
豆腐屋ならば豆腐と豆腐から作られる油あげや厚揚げ、豆腐の副産物であるおから。
魚屋ならば魚だけで、現在のデパートやスーパーマーケット、コンビニエンスストアのように、その店に行けばなんでも揃うということはなかった。
当時は冷蔵庫がなかったため、食品などはあまり流通に時間が割けなかった。
ひとつの店で欲しいものがすべて揃わないのは不便なように思えるかも知れないが、たいていの場合、店のある場所には様々な商店が立ち並んでいるので、いくつかの商店に立ち寄れば事が足りるようになっていた。
江戸時代、米は基本的に玄米で流通していた。武士は、玄米で給料を支給される層がおり、彼らは、支給された玄米を精米し白米にして食べていた。
江戸の人々は、武士の真似をして精米した白米を食べていた。武士と同じ白米を食べていることに誇りを持っていたからである。
玄米を精米するのは重労働だったので、町人たちは舂米屋という店で精米した白米を買っていた。
江戸の町中では野菜を生産していないので、八百屋は都市ならではの店であった。
さらには菜屋や刺身屋と呼ばれた現在の総菜屋なども、単身赴任の男性が多かった江戸ならではの商売だった。(武士が赴任するのは全国的に江戸がほとんど)
さらに、武士の多かった江戸では、武士が使う刀や甲冑、長刀、槍、馬具などを売る店がたくさんあった。
江戸時代の店は、住居との一体型が基本。店の奥や二階が住居兼倉庫となっていた。本屋では本だけでなく浮世絵なども売っていた。
『歴史道 別冊special そうだったのか!江戸の暮らしと仕事』朝日新聞出版 著者:加唐亜紀