戦後の日本において、女性の社会進出は著しく進展した。
日本の経済発展を支えた女性の活躍、そして、日本の将来を支える“女性の時代の始まり”を見てみる。
高度経済成長期以降、女性の社会進出は急速に進んだ。
女子雇用者数の推移をみると、昭和40年(1965)の893万人から平成2年(1990)の1823万人へと、25年間で2倍以上に増え、平成12年には、全労働者数の4割を女性が占めるに至った。
その理由は様々だが、結婚・出産後も仕事を続ける女性が増えた事が大きな要因の一つだ。
女性の高学歴化も要因の一つであった。
昭和50年代中頃までの女性の新入社員の半数以上は、高校卒であった。
しかし平成に入ると、短大卒・大卒が新入社員の半数を占めるようになっている。
昭和60年に女子差別撤廃条約の批准を受けて成立した「男女雇用機会均等法」が、女性の社会進出に果たした意義は大きい。
同法は平成9年に改正され、制度的な整備がいっそう進展した。
※男女雇用機会均等法とは、働く女性が性別によって差別される事なく、充実した職業生活を営めるように定めた法律。昭和61年に施工され、平成9年に改正。事業主が、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇において、男女差を付ける事を禁止した。
昭和から平成になると、バス・タクシー・トラックなどの運転手や新幹線の車掌・運転士など、従来男性の役割と看做されてきた職業への女性の進出も見られるようになった。
しかし、一方では不況期の女子大生の就職難や、管理職に占める女性の割合の低さなど、問題は依然として残されている。
社会に出ようとする女性の前には、いくつかの問題が横たわっている。
その最たるものが、賃金格差の問題だ。
平成12年を例にとると、男女別・年齢別の賃金は、20代までは男女格差は少ないものの、30代以上では月給で5万円以上の開きが生じ、40〜50代になると15万円前後にまで広がってしまう。
このような男女格差は、欧米に比べると異例の大きさである。
とくに日本の場合、結婚・出産後に退職し、育児が一段落してから再就職する傾向がある。
その場合はパートタイムなどの非正規雇用者となる事が多く、男女間の賃金格差を広げる要因となっている。
平成4年に「育児・介護休業法」が制定され、制度面の整備は進んだものの、現状は、働く女性の出産・育児に対して社会的なサポートが充実している欧米の水準には、遠く及ばない。
正規雇用による再就職や育児休業後の円滑な職場復帰は、看護師や教員といった特定の職業でない限り難しいといえる。
結婚・出産後の再就職問題は、少子化傾向が進むなか、解決が急がれるが、依然として問題が残っている。