1922年、ソビエト社会主義共和国連邦が成立した。
社会主義革命の波及を恐れた資本主義諸国の干渉に対抗して、ソビエト政権は「世界革命」の推進を目指した。
社会主義的変革を目指している日本共産党も、この頃に結成されている。
社会革命党を排除し、一党独裁体制を確立したボリシェヴィキは1918年に共産党と改称し、首都をモスクワに移した。
また、第一次世界大戦以来の食糧不足を解消する為、労働者を農村に送り込んで作物を強制的に徴発した。
しかし、そのために各地で農民反乱が発生、反革命運動が各地で起こった為、誕生したばかりの社会主義国家は内戦状態に陥った。
これに対しソビエト政府は、チェカといわれる非常委員会や赤軍を組織して反革命運動などの取り締まりにあたった。
一方、ロシア革命の影響では、ロシア以外の各国国内で労働運動や植民地の民族主義が高まっていた。
これらの動きによって、社会主義革命が自国に波及する事を恐れた資本主義諸国らはソビエト政府を敵視した。
1918年からは、ボリシェヴィキ軍と衝突したチェコ軍の救出を名目に、イギリス・フランスが北ロシアに軍隊を派遣する。
日本もアメリカなどと共にシベリアに出兵するなど、対ソ干渉戦争が開始された。
さらに、ロシア国内の反革命軍「白軍」が、これらの外国軍と呼応し、一時国土の大部分を占領した。
しかし、外国軍の侵入はかえってロシア民衆の愛国心を呼び覚ます事となった。
次第に支持を拡大したソビエト政府は、全工業を国有化する。
農民からは食糧を徴発するなど、徹底した戦時共産主義によって政治・経済の統制を図ったほか、赤軍を強化して反撃を開始する。
また、1919年3月には各国の革命勢力を結集して「世界革命」を実現する為、コミンテルン(第3インターナショナル)を設立。
これにより世界の各国で共産党が誕生した。
こうして外国軍の干渉を排したソビエトは、中央アジアやカフカス地方の共和国を支配下に治める事に成功する。
そして、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦を形成した。