縄文土器の種類と変遷

縄文土器は徐々に変化した

約14000年間も続いた縄文時代、縄文土器にはどんな変化があったのか。
当初は縄目の文様もないシンプルだった土器は、徐々に縄目が登場し、やがて縄目の文様が定着し、装飾的かつ立体的な造形になり、実用性を重視した形状に変化していった。

目次

縄文よりさらに古い「無文土器」も存在

約1万6500年前頃(世界最古)

青森県東津軽郡にある大平山元遺跡からは世界最古とみられる無文土器が発掘された。紀元前約1万6500年頃の土器と推定されている。

縄文の時代区分

草創期 1万6000〜1万1500年前頃

まだ縄目の文様もないシンプルデザイン

この頃はまだ、縄文土器らしい縄目の文様がみられず、簡素な仕様。丸底が主流だったが、完全な形状で出土するケースは少ない。この頃から、一部の人々が定住し始め、石器の使用も始まったと推測されている。

早期 1万1500〜7000年前頃

徐々に縄目が登場し尖底型が多数

いわゆる「縄目」の文様が誕生。この土器では表面と内側に縄目を押し付けたような文様が施されている。形状としては、底が尖っている尖底型が主流に。この頃に南九州で定住化が進み、列島全域で温暖化が進む。

前期 7000〜5500年前頃

縄目の文様が定着し平底型が主流に

底の形状が尖底型から平底型へ変化。魚介の採集などが一般化して食材が多様化し、それに伴って土器の形状も大きく増えていった。また、北東北から北海道南西部にかけて円筒型の土器文化が広がり、各地で交易も行われるようになる。

中期 5500〜4400年前頃

装飾的かつ立体的な造形に

装飾的かつ立体的な土器が誕生。この土器では粘土を表面に貼り付け、立体的な文様が全体に施されている。この時代には東日本を中心として大きな村々が作られており、縄文時代が一つの成熟期を迎えていたと考えられる。

後期 4400〜3200年前頃

実用性を重視した形状に変化

注ぎ口が付いた注口土器など、より実用性に長けた土器が登場。これまでと比べて薄い仕様の土器が増え、中期のような装飾性に富んだタイプが減少していく。この頃に、関東では徐々に大規模な集落が減退していったと考えられる。

晩期 3200〜2400年前頃

精密で複雑な文様が東日本で増加

主に東日本では直線や曲線を用いた複雑な文様が浸透する一方で、縄文の文様は徐々に存在感を薄めていく。一方、西日本では無文土器が徐々に浸透し、簡素化が進んだ。写真は晩期を代表する亀ヶ岡式土器で、精密な文様が特徴。

縄文土器の種類と進化の変遷

約1万4000年の間にどんな変化があったのか?

研究は現在でも進んでいる

時代区分には徐々に修正が加えられた

縄文時代は1万年以上にもわたって続いたため、その間に縄文土器も多様な変化をとげ、それらは多くの分類を生み出している。
現在、土器の分類として、草創期(1万6000年前〜1万1500年前)、早期(1万1500年前〜7000年前)、前期(7000年前〜5500年前)、中期(5500年前〜4400年前)、後期(4400年前〜3200年前)、晩期(3200年前〜2400年前)の6期に分けられている。
しかし、これは初めからそうであったわけではなく、当初は前・中・後期の3区分だったものが、研究の進展によって、早・晩期の2区分が加えられて5区分になり、さらに、草創期が加わり6区分となった。

時代ごとに便利になっていった土器

文様以外にも形状・装飾性などが大きく変化

各々の時期にみられる縄文土器について。

草創期、煮炊き用に土器が作られ始める

草創期の土器は、底が丸い丸底深鉢土器や平底深鉢土器が主流であり、煮炊き用として用いられた。文様には、爪で付けた爪形文や細い線を使って盛り上げた隆起線文があり、まだ縄目の文様はみられない。他にまったく文様のない無文もある。

早期、煮炊き用土器を地面に刺して使用

早期になると、土器の先が尖っている尖底土器がみられるようになる。尖底土器は、自力で立つことができないことから、炉の近くの床土にさして煮炊用の土器として使用されていたと考えられる。文様としては、細い糸をよって木の棒に巻き、回転させた撚糸文や貝殻を使った貝殻文などがある。

中期、芸術性を備えた火炎土器

中期には、土器が大形化し、口縁部を炎の文様に飾った火炎土器がみられるようになる。火炎土器は、一般的に儀式用の土器といわれるが、土器の内側にふきこぼれの跡があるものもみられることから、煮炊き用に用いられたともいわれている。いずれにしても、火炎土器は実用性だけではなく、芸術性をも兼ね備えた土器といえる。

後期、急須のような注口土器で酒を注いだ

後期になると、急須のような形をした注ぎ口をつけた注口土器が関東や東北を中心に広まり、酒を入れて使われたとされる。文様は、装飾的なものにかわって、機能を重視するものに変化し、大きさは小形化する。土器は、美しく仕上げられた香炉形土器・釣手形土器など、豊富な器種が存在する精製土器と、文様などを少なくした粗製土器の2タイプがみられる。

晩期、より精巧な土器から、シンプルな土器も製造

晩期には、東日本では青森県の亀ヶ丘遺跡から出土した亀ヶ岡式土器のような、芸術性に富んだ精巧な土器が作られるようになる。一方で、西・南日本では文様を単純化したり、無文にしたりした土器が出現してくるようになる。

その他のいろんな土器

個性に富んだ形状や装飾

その他にも個性に富んだ形状や装飾が存在した。表面に黒い漆が施され、他の土器と異なる表情を放つ実用性に富んだ晩期の浅鉢型土器。うっすらと縄紋が施された縄文時代前期と推定される丸底型土器。 ヒトを模した装飾が胴部の前後にみられる、縄文後期の浅鉢型の土器。などだ。

小さなミニチュア土器

縄文時代の遺跡からは、非常に小さな土器が出土することがある。大きさは、掌に収まる程度であるが、文様は実際の縄文土器そのままに丁寧に作られている。このような小型の縄文土器の存在は、昔から知られていて、袖珍土器などとも呼ばれている。このような小さな土器は、もちろん実際に使用されるものではなく、様々な用途に関する説が提示されてきた。故人の墓に副葬する、などの説もある。

子供の遊び用の土器か?

子どものおもちゃという説もある。実際の発掘調査では、このようなミニチュアの土器が、墓と思われる穴から出土することはなく、多くの場合、住居が廃絶した窪みや、集落のまわりのごみ捨て場から出土している。考古学では、用途不明のものは、儀礼に使用されたと考える場合が多いが、これに関しては儀礼用とは考えられていない。もし、おもちゃと考えれば、土器作りの見本のように使用された可能性も想定される。


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