城は立地によって「山城」「平山城」「平城」に分けられる。
名前のとおり、山城は山に建てられた城、平山城は平地の小山に建てられた城、平城は平地に川や丘などの地形を活かして建てられた城の事である。
現在の人々が「城」といわれて真っ先に思い浮かべる、巨大な「天守閣」を持つ「城」は安土桃山時代から江戸時代に掛けて造られた物が殆どである。
戦国時代の城は天守の様な立派な高層建築物こそ持たなかったが、実際に戦闘となれば、非常に堅牢で頼りになる存在であった。
また、戦国時代までは「寺院」や「都市」でも立派な“石垣”や“堀”を備えていた物が多く、必ずしも武士だけが“城郭”を持っていた訳ではない。
山城は、山上に築かれた城で、戦国時代の城に多い。
見通しがよく、敵から攻められ難いが、生活には不便であった。
このため、戦いのときは城に籠るが、普段は麓の館と呼ばれる建物で生活する事が多かった。
戦において「山城に籠っている間に、村や田畑が荒らされる」といった事が非常に多く、城郭は、徐々に平地へと移っていく。
戦国時代末期になると、領国支配を固める為、大名たちは領地に近い平山城や平城を築き始める。
こうして城は、戦いの場としてだけでなく権力の象徴としての役割を担うようになった。
なお、平山城や平城が戦に不向きだったかというと、そんな事はない。
加藤清正が築城した熊本城などは、日本最後の内乱・西南戦争でも見事な堅牢ぶりを発揮し、見事に明治新政府軍を勝利に導いた。
水城(みずじろ、みずき)は海岸・河川・湖沼に隣接して築城され、その水を防御に利用する城の事。
水城は地形的には平城に分類されるが、海や川に接する山に築城された場合も水城になるため、全ての水城(海城)が平城となるわけでは無い。
城の発達とともに、石垣の積み方も緻密になっていった。
石垣を本格的に多用した最初の城は、織田信長の安土城と云われ、全国各地に穴太衆・越前衆・尾張衆・長袖衆など石垣衆という石工集団が現れ、建築を担った。
以降、天然石を積み上げる「野面積み」だけでなく、「打込接ぎ」や「切込接ぎ」など、石を加工して積み上げる方法が発展した。
自然石を加工せずにそのまま積み上げる方法。
敵に登られやすいが、排水性に優れる。
技術的に初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代である。
近代城郭から、一般の町の塀など、最も一般的にみられる石垣である。
表面に出る石の角や面を叩いて平らにし、石と石の隙間を減らして積み上げる方法。
関ヶ原の戦い以後、この手法が盛んに用いられた。野面積みより高く、急な勾配が可能になる。
隙間がなくなるまで石を加工して積み上げる方法。
加工に大変な手間が掛かるので部分的に使われる事が多い。
建築物としての完成度は非常に高く、見た目の格調高さから、江戸城天守閣の石垣などに用いられた。
石材同士が密着しており排水できないため、排水口が設けられる。
石垣の積み方は、布積と乱積の2つに大きく分けられる。
石垣最上部の天端が垂直になった箇所を雨落としといい、その下に反りがあるものを「寺勾配」、雨落としが浅い・無いものを「宮勾配・扇の勾配」という。
石垣は外観によっても分類される。
石垣の出角部分(隅石)のみの積み方である「算木積み」、平石の隅を立てて積む「谷積み」、亀の甲羅の模様に見える「亀甲積み」、玉石を用いた低めの「玉石積み」、大石の周りに比較的小さな石を積む「笑い積み」などがある。