イザナギとイザナミの国生み神話は有名だが、日本列島と周辺の島々誕生の順番が『古事記』と『日本書紀』とで違うのはあまり注目されない。
畿内・本州は古事記では後半に生まれたが、日本書紀では最初期に生まれたとされる。
そこには古代ヤマト政権の政治的な思惑が色濃く現れている。簡単にまとめる。
>> 「本文」と「一書」
神世七代の最後に登場したイザナギとイザナミは国生みを行うが、最初は失敗してうまくいかない。
しかし、高天原の神々の知恵を借り再度の国生みに臨み、大八島、すなわち日本列島を誕生させていく。
『古事記』によると、高天原の神々から、漂っている地上界を修めて国作りを行うよう命じられたイザナギとイザナミは、神々から天沼矛を授けられる。
イザナギとイザナミは天上と地上の間にある天の浮橋から、矛を地上に突き刺しかき回すと「こおろ、こおろ」と音がして、引き上げた矛から潮が滴り落ちてオノゴロ島ができた。
オノゴロ島に降り立ったイザナギとイザナミの子作り(国生み)は失敗してしまう。その原因が女神から声をかけたことだと知り、今度は男神から声をかけて結ばれることにした。
大八島(大八洲)が生まれていくが、その生まれた順番が『古事記』と『日本書紀』が違っている。
イザナギとイザナミが生んだ最初の島は、『古事記』では、アワヂノホノサワケの島(淡路島)だった。
その後、イヨノフタナの島(四国)、オキノミツゴの島(隠岐島)、ツクシの島(九州)、イキの島(壱岐)、ツの島(対馬)、サドの島(佐渡)が生まれ、8番目に本州にあたるオオヤマトトヨアキヅの島(大倭豊秋津島)が生まれ、大八島と呼ばれる8島が誕生した。
『日本書紀』で最初に誕生するオオヤマトトヨアキヅ洲(本州:大倭豊秋津島)は、別伝承でも最初か2番目に誕生している。
天皇家が支配する畿内が含まれている本州を重視する姿勢が覗える。
神話として受け継ぐ場合、古事記の方の話を受け継いだ方が良いかもしれない。
日本列島がどのようにして成立したのかを神話的に説明したものが国生み神話である。
『古事記』『日本書紀』の中でも重要な位置を占めており、『日本書紀』では、本文の他に10の“一書(あるふみ)”がみられる。
具体的には、イザナギとイザナミが婚姻を結び、国を生むのであるが、『古事記』をみると、まず、淡路島を生み、ついで四国を生み、その後も国を生み続け、日本列島の主要部分である大八島国の最後に大和を中心とした畿内に相当する大倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ)を生んでいる。
一方、『日本書紀』の本文では、まず、大日本豊秋津洲(畿内)を生み、そのあと四国を生んでいる。また、本来は双子ではない島(隠岐と佐渡)を双子としており、極めて作為的な書き換えが成されている。
上に記述している一書に目をやると、第1の一書は本文と同様にまず、大日本豊秋津洲(畿内)を生んでいるが、そのあと淡路島を生み、ついで四国を生んでいる。
第2・第3・第4・第5の一書には国生みについての具体的な記述はみられず、第6の一書は、大日本豊秋津洲(畿内)、ついで四国の順である。
これに対して、第7と第8の一書は、最初、淡路洲を生み、ついで、大日本豊秋津洲(畿内)、四国の順で国生みを行っていて、他の一書とは少し異なっている。
第9の一書は、大日本豊秋津島(畿内)、淡路島、四国の順になっており、第10の一書は淡路島の国生みのみが記されている。
このように、国生み神話には『古事記』と『日本書紀』とで国生みの順序に微妙な違いがみられ、このことは『日本書紀』の本文と一書の中でもいうことができる。
こうした相違の理由としては、それぞれの神話が形成された時期が異なっているためであり、成立時期は『古事記』のものが最も新しいとされる。
畿内とは、すなわち、律令国家にとって最も重要なエリアであり、他の七道とは一線を画していた。
この畿内を国生みの最初にもってくることによって、律令国家の基本体制である律令制の正統性を可視化する役割を『日本書紀』の国生み神話は担っていると考えられる。
『日本書紀』が国家の歴史を叙述したものであり、『古事記』のように天皇家の歴史を述べたものとは性格を異にしているということは、国生み神話からも読みとることができるのである。