源義家

源義家

源義家

驍勇絶倫、騎射、神の如し

源義家が名声を挙げる切っ掛けとなった戦いが「前九年合戦(1051〜1062年)」である。
この戦いには朝廷の命によるもので、陸奥国の豪族の安倍頼時が国司に犯行した為、これを討つ為に義家が父の源頼義(みなもとのよりよし)に従って参戦した。
この戦いで義家はたった7騎という状態で、敵200騎に囲まれてしまうが、義家の卓越した騎射技術で戦いを切り抜けたと云われる。
後にこの戦いのようすを【陸奥話記】にて「驍勇絶倫(ぎょうゆうぜつりん)、騎射、神の如し」と称される。
これにより源氏が東国を平定し、勢力を広げていく事とのなり、後の源氏の栄光へ繋がる。
さらに1070年には陸奥国で反抗した藤原基通(ふじわらのもとみち)と戦い、1079年には美濃国にて源重宗(みなもとのしげむね)を倒すなどの活躍をした。

配下、家来の忠義に応える武士道精神

1083年、豪族の清原氏の内紛である「後三年合戦(1083〜1087年)」に義家は介入する事となるが、清原真衡(さねひら)と清衡(きよひら)、家衡(いえひら)の戦いであった。
三人は兄弟であったが、義家は清原真衡に組することとなる。
清衡と家衡は義家にすぐに降伏してしまうが、時を同じくして真衡が急死してしまう。
そして今度は清衡と家衡が争う事になるが、義家は清衡に付く事となる。
この戦いでも義家は優れた軍略により家衡を打ち破り戦いを終結させる。
しかし、この戦いは事前に朝廷の命を受けていなかったため私闘とみなされてしまう。
そのため義家には恩賞が与えられることはなかったのである。
義家はこれを受けて、自身の配下の為に私財を挙げて恩賞を与えたのである。
この義家の行いにて東国武士達の信頼関係はより一層強くなっていった。



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