藤原道長

藤原道長

藤原道長

強運の男 「氏長者」

藤原氏の祖、中臣鎌足以降、藤原氏」は日本の政治の中枢で務めていた。時には権勢が衰える事があっても、他氏の排斥などの策略で天皇家との安定した関係を維持しつつけてきたのだ。
そして、道長時代はの有力者が藤原氏以外には特におらず、権力の座を藤原氏一族内で争っていた。
道長は五男であったため、特に出世を期待されるような事はなかった。
しかし、父の死後、跡をついで関白となっていた兄の道隆(みちたか)までもが病で死去。次に跡をついで関白に就任した三男通兼(みちかね)も、なんと僅か10日程で死去してしまったのだ。
その結果、道隆はあっという間に藤原氏の氏長者(うじのちょうじゃ)となった。

三大もの天皇の外戚となる事で、栄華を極める

道長の強運は氏長者となった後も続いた。道長には娘が沢山いたのである。
道長は自分の娘たちを朝廷に入内させることで、天皇家との関係を深めていった。長女を一条天皇の後宮に入れ、次に三条天皇や後一条天皇の中宮に立てたのだ。結果として道長は三后の父となった。こうして道長は栄華を極めたのだ
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」



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