アジア・アフリカ会議やパン・アフリカニズムの影響を受けたアフリカ諸国が、1950年代後半以降、次々に独立を果たした。
戦後の民族独立運動は、1950年代後半になってサハラ以南のアフリカにも波及した。
その思想的な原動力となったのが、19世紀末にアメリカなどのアフリカ系知識人によって生み出された「パン・アフリカニズム」である。
これは、アフリカ系の人々によるアフリカの歴史的復権と独立、統一を目指す思想で、57年にはパン・アフリカニズムの指導者エンクルマに率いられたガーナが、サハラ以南初の独立国となった。
このガーナ独立に影響を受け、翌58年にはギニアがフランス共同体から離脱して独立を果たす。
フランス共同体とは、58年の第五共和国憲法に規定された、フランスとその植民地である自治共和国の結合体で、植民地の独立要求の高まりを受け、従来のフランス連合の代わりに設けられたものだ。
これによって植民地の自治権は拡大したものの、以後も独立要求は収まらなかった。
そして60年、フランスは植民地が共同体を離脱する事なく独立できるように憲法を改正する。
その結果、同年中に共同体から13カ国が独立を果たした。
この13カ国を含め、60年には17カ国が一気に独立を果たした事から、「アフリカの年」と呼ばれている。
ただし、独立後のアフリカ諸国は、植民地時代のモノカルチャー化が生んだ一次生産品依存の経済構造に苦しんだうえ、西欧諸国が恣意的(しいてき)に引いた境界線を国境として受け継いだことで民族・領土対立が頻発してしまう。
これに、石油などの資源争いが加わり、内戦が多発する事となった。