自民党政権

55年体制の成立

保守・革新共に分裂を繰り返した後、憲法改正を阻止すべく、左右社会党が統一。対する保守陣営も自民党を結成した。
自民党が過半数を確保して長期政権を担い、社会党を中心とした革新勢力が1/3以上の議席を保つ「55年体制」が続く事になる。

戦後政党政治の復活と「55年体制」の成立

占領期の政党政治はアメリカの影響下

戦後、大政翼賛政治で消滅した政党が復活し、戦前に非合法政党とされた日本共産党が再建された他、日本自由党日本社会党などが結成された。
戦後の国内政治はこれら政党を中心に行われたが、占領期には度々GHQの干渉を受けた。
第22回総選挙で第一党となった自由党の鳩山一郎党首が組閣直前に公職追放となったのはその典型例だ。

親米派の吉田茂

このときに急遽首相となった親米派の吉田茂は、片山哲内閣、芦田均内閣を挟んで第5次内閣まで政権を担当する。
しかし、1951年8月に鳩山の追放が解除されると、自由党は吉田派と鳩山派に分かれ、鳩山派の文派自由党は、その後、日本民主党となる。

日本社会党が分裂後・再統一

この保守系政党の分裂に先立って、社会党片面講和の是非を巡って左右に分裂していた。
しかし、54年12月に憲法改正と再軍備を掲げる鳩山内閣が誕生すると、改憲阻止勢力の糾合が必要だと考えるようになる。
そして、翌55年2月の総選挙の結果、左右社会党合計で改憲阻止に必要な1/3以上の議席を確保すると、同年10月に再統一した。

自民党が誕生

この動きに危機感を覚えた保守政党は、日本経済団体連合会(経団連)など財界の希望もあって保守合同に踏み切り、自由民主党(自民党)が誕生する。
以後、冷戦終結後の93年まで、自民党が過半数を確保して長期政権を担い、社会党を中心とした革新勢力が1/3以上の議席を保つ「55年体制」が冷戦終結まで続く事になったのである。


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